2010年03月03日

フォーラムデイズ   2010年 NO.1-2

■「色川大吉は戦後史をどう生きたか」第7回レポート 
〜『若者が主役だったころ』いよいよ佳境に!

  サブレポート@「日本共産党第六回全国協議会について」 
                    

                    スタッフ   伊藤

 日本共産党第六回全国協議会(六全協)とは、1955年7月に開催された、それまで同党が展開してきていた武装闘争方針の放棄を決議した会議の名称です。

 今回のサブレポートでは、同党がなぜそのような武装闘争路線を選んだのか、そしてその路線はなぜ放棄されたのか、さらにその決議がもたらした影響などについて報告しました。
 
 1950年1月に、コミンフォルム(1947年に創設されたヨーロッパの共産党・労働者党の情報連絡機関)の機関紙に発表された「日本の情勢について」という論文がこの一連の動きの発端でした。

 これは当時「アメリカの統治下においても平和革命は可能」としていた日本共産党を激しく批判し、日本の独立を実現するために闘争にたちあがることを呼びかける内容でした。

 同党内はこの批判を受け入れるかどうかで、所感派(徳田球一ら)と国際派(宮本顕治ら)に分裂します。

 そして主導権を握った所感派により、51年開催の第5回全国協議会において「日本共産党の当面の要求」(51年綱領)と「軍事方針」が決定。
 
 この方針に基づき、「山村工作隊」「中核自衛隊」といった組織がつくられ、各地で派出所の襲撃や火炎瓶闘争が展開されます。

 しかしこういった過激な路線は世論から支持されず、52年10月の総選挙で日本共産党は公認候補が全員落選し、35の議席をすべて失います。
 
 こうしたなか、所感派の徳田球一が53年に亡命先の北京で死去。同派の野坂参三も国際派の宮本顕治と和解します。

 こうして迎えた55年7月の第六回全国協議会で、「第二の重要な問題は、党は戦術上でいくつかの大きな誤りをおかした。(中略)誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である」「党中央はすでにこの一月、極左冒険主義的な戦術と闘争形態からはっきり手をきる決意をあきらかにした」と決議、従来の武装闘争路線は否定されます。
 
 ここで問題になるのは、色川先生も『若者が主役だったころ』で書かれているように、それまで党の方針に従って活動していた人たちのことです。
 
2.6サブレポ1.JPG



 「極左冒険主義で、誤りだった」という一言で片付けられてしまった彼らのこれまでの命がけの闘争は何だったのでしょうか? そしてこれからどうすればいいのでしょうか?
 
この非合法活動にかかわった人たちを描いた作品として、柴田翔『されど我らが日々−』(文春文庫)と大島渚監督作品『日本の夜と霧』(60年10月9日公開、12日上映中止)があります。

 深く傷ついた彼らを、現在も日本共産党は「分裂していた一方が勝手にやったことで、党としての活動ではない」(『日本共産党の八十年』より引用者要約)として突き放したままです。

 この大転換により、それまであった「前衛党は間違いをおかさない」という日本共産党の無謬性の神話と同党への信頼が崩壊し、新左翼各派が結成される種がまかれる要因のひとつになったという意味で、この六全協とその決議は戦後史の大きなポイントだということがいえます。


 色川先生の転換点を追体験する 
サブレポートA「スターリン批判とハンガリー革命について」


                     スタッフ 本橋

 1917年のロシア革命でロシア社会民主党(共産党)はレーニンが率いていましたが、1924年1月にレーニンが死ぬと、スターリンが後継者に選ばれました。

スターリンは非常に傲慢な冷酷無比、そして疑い深い人物でした。この男がソ連のトップに立ったせいで粛清、処刑の嵐が吹き荒れ、膨大な数の人が不慮の死を遂げたのです。


2.6サブレポ2.JPG

 スターリンの死後3年たった1956年2月、ソ連共産党第20回大会が開かれ、フルシチョフが秘密報告をしました。この報告はスターリンに対する個人崇拝批判であり、スターリンの行った粛清・処刑の内容が具体的に明らかにされました。

しかしスターリン体制自体の批判ではなく、むしろ温存であり、このことは後のハンガリー事件において世界が知ることになるのです。

 早くもスターリン批判と同じ年の10月23日、ハンガリー共産党の圧政に反発した学生たちが、複数政党制などの16項目の民主化要求をかかげて首都ブタペストでデモを行い、治安警察と衝突。新たに労働者が加わり、市民革命に発展しました。

これにソ連軍が介入しますが、混乱を収めるために追放されていた改
革派のナジ・イレムがハンガリー首相に就任し、ソ連軍の撤退を求めたため、いったんは撤退します。

 しかし、ワルシャワ条約機構からの脱退と中立国化が宣言されてのち、再びソ連軍大部隊が侵攻し、無差別破壊を行いました。これにより、ハンガリー国民約3000人が死亡、20万人が西側に亡命し、ナジ・イレムは捕えられ2年後に処刑されます。

このようにして、東欧の民主化を力で押しつぶしたのです。

 日本では、自民党の芦田均と社会党右派の西尾末廣らによる「ハンガリー救援会」が立ちあげられ、多くの募金も集まり、1957年1月より約1カ月の間、慰問班による救援が行われましたが、医師や看護婦を伴ったものではありませんでした。

ハンガリー難民日本受け入れの働きかけに対しても、ハンガリー事件直
前の1956年10月19日に成立した日ソ国交回復への悪影響を懸念して、実現されませんでした。

 進歩・左翼知識人たちも、おおむねハンガリーに対しては冷たいものでした。

 一方で、ハンガリーへのソ連の軍事行動と日本共産党のスターリニズムを共に批判する、新左翼と呼ばれる一群が現れました。

 そのような意味で、ハンガリー動乱は、日本のそれまでの進歩的文化人にとっての「リトマス試験紙」のような役割を果たしたのかもしれません。
 
大きな変動が起きたとき、その人がどう反応するか、そこにその人の本質が表れるからです。

そこから出発して、どうして自分はそのことにきちんと向き合おうとせず、従来の立場や判断や、党や常識や人から言われたことを自分の判断であるかのように思いこんでしまったのだろうか。

そういう発想をもてなかったら、その時点でその人は思想家としては死んでいます。

 若き色川大吉先生が、ハンガリー動乱のとき、ソ連の戦車が抵抗する市民に発砲したニュースを聞いて、敬愛する遠山茂樹に憤懣を叩きつけて「遠山さん、これはいったいどういうことなんですか」と詰め寄ったところには、若き色川先生の熱い感性や高い意識を感じます。

実際、六全協とハンガリー事件は色川先生の共産党からの脱党を決定的にします。
 
このように、「スターリン批判とハンガリー動乱」は、戦後思想史の転換点だったと同時に、若き色川先生の思想的転換点にもなりました。

ラベル:講座情報
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2010年03月01日

フォーラムデイズ   2010年 NO.1

■名画から現代を読む第2回「芙蓉鎮」に40人が参加■



いったいあの「文化大革命」とは何だったのか!   
「映画『芙蓉鎮』と毛沢東の時代」 
                          2010年1月16日  スタッフ 田中

 『芙蓉鎮』は、文化大革命の前後16年間(1963年〜1979年)の混乱の中、辛苦に満ちた人々の人生を描いた映画です。『芙蓉鎮』とは湖南省南端に設定された、芙蓉の花に彩られた小さな鎮(村)です。

芙蓉鎮.jpg

 胡玉音という米豆腐売りの美女をヒロインに、彼女をとりまく人々の運命が政治によって翻弄されてゆく姿を通して、文化大革命というものが残した深い傷跡をリアルに描き出しています。

この小さな村で起こる事件は、当時の中国そのものを映し出しているのです。

 文革の時代、数千万人の人が迫害され死亡し、多くの文化人たちが自殺したり殺されたりしました。そして、当時政治闘争に動員された世代は、その後の下放運動で高等教育が受けられず、その後の中国に教育文化の発展に大きな悪影響を与えたといわれています。

 日本でも、かつて文化大革命への熱狂的な支持者がたくさんいましたが、未だにあの熱狂は何だったのか、どんな意味があったのか、明らかにされていません。

当時、文革を支持していた人たちは、口を閉ざしていますし、文革を痛烈に批判した文学、映画は日本にはほとんどありません。

それは、文革を庶民の立場から痛烈に批判したこの映画や、ほかの映画やノンフィクションなど、再び言論弾圧が強くなるまでは、続々と発表・出版された中国とは基本的な違いがあります。

 この上映会には、今回、新しい参加者が大勢来て下さいました。皆さん、「文化大革命とはどういうことで、何をもたらしたのか」についてずっと疑問を抱えてきたり、ほかの方の意見を聞きたいということでした。

その反面、「ここに来ることにかなり迷った。」「どういう参加者が来るか不安だった」「皆さんの発言の内容によっては、自分の意見を言うのは控えたい」と言う方も何人かいて、30年以上経った今なおくすぶり続ける、「文化大革命」の重さを感じました。

1.16名画.jpg

 上映後には、最初は不安がっていた参加者が、自身の体験談を話して下さいました。

その方は、若い頃に中国系の会社に勤めていたので、日本にいながらにして「文化大革命」の辛酸を受けた話をされました。批判めいた発言をしたことで、社内から異端視され、迫害を受けたのです。

当時の思いを話されたことで、最後にはすっきりとした表情で帰っていかれました。

「間違っていること」を堂々と発言出来ないことの悔しさが解消されたでしょうし、文化大革命への疑問は自分だけが持っていたものではなかったという共有感を、参加者全員が感じた上映会でした。
ラベル:講座情報
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2009年11月23日

フォーラム デイズ  2009.11

■色川先生の新著 快調に執筆中! 

色川先生の昭和自分史の第4巻は、現在快調に進んでいるようです。

 内容は 昭和天皇の逝去と「自粛」のこと、歴博の誕生、自由民権運動100周年記念集会、水俣への取り組み、日本はこれでいいのか市民連合、そして未来への提言となる予定です。

 色川先生のもっとも充実した時期であり、戦後史に残る活動へのかかわりがダイナミックに描かれます。
出版は第3巻『若者が主役だったころ』と同じ岩波書店です。
 
期待してお待ち下さい。出版されたら、すぐにお知らせします。書店に飛んでいって買って下さい。

■チェチェン問題への取り組み
 
 コーカサスの小さな国・チェチェンは、プーチンのロシアに弾圧され、1993年以来、全土が戦場となり、かずかずの人権運動家、市民、学生たちが、ある日突然いなくなったり、暗殺されています。

生まれたときからうち続く戦乱で、子供たちは心的ストレス障害をかかえたままです。

 そのチェチェン問題に、フォーラム色川は数年前から取り組んで来ました。

チェチェンにも行ったことがあり、「平和行進」を組織して、その写真集も出したチェチェン問題の第1人者・林克明さんの講演会、さらに暗殺されたジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤさんを悼んだ映画「アンナへの手紙」上映会への協力などに取り組んでいます。
 
最近では、新しくできた在日チェチェン人組織・自由コーカサスに協力して、わたしたちができる新たな活動に取り組もうと考えています。
 
なぜチェチェンなのか。

それは今チェチェン民族が弾圧され、自由が圧殺されているからです。チベットがずっとそうであるように。
 
かつてハンガリー、ポーランド、チェコで民主化運動が起きたとき、日本で支援を行うことに「なぜ?」と問うた人は、その後の「ベルリンの壁崩壊」とともに起きた世界情勢の大変化を目の前にして、どう感じたでしょう。
 
いま目の前で起きている歴史の変化に鈍感であってはならない。それがフォーラムのメンバーが色川大吉先生に学んだことの一つです。

ご一緒にチェチェン問題を考えてみませんか。近くまた新しい活動の提案ができると思います。

■小島宣隆氏講演会に40名が参加 

11月7日の「100億円の借金王・小島宣隆氏講演会」は、いつもよりフォーラム会員の参加は少なかったのですが、小島さんの友人たちや「倫理研究会」という団体の協力で約40人の講演会となりました。

 この不景気で銀行からも国からも救われないで自殺を考える人たちを、100億円のバブル借金王が救うという不思議な現象をお伝えしたかったのですが、十分伝わったでしょうか。

★フォーラム色川へのお問い合わせ
 お手紙・メールまたは電話にて
  090−4914−4597(安東)または
090−5770−7707(伊藤)まで
★ フォーラム色川のメールアドレス f.irokawa@jcom.home.ne,jp
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2009年10月30日

10/17『 名画から現代を読む』レポート

10月の真ん中
雲の多い土曜日に新企画『名画から現代を読む〜映画ジュリアとリリアン・ヘルマンの時代 』を行いました

まず作品の上映会を行い、休憩をとって感想やその作品の背景などを話す形になりました。

10.17上映会.jpg

私自身は10年前に安東さんに言われ銀座でリバイバルをやっているのを観て思い出しました。

安東さんの世代の方もいらっしゃっていましたが、ほとんどのの方が初見ということでした。

感想としては
“時代背景がわかりづらかったがサスペンス形式なので面白く観ることができた”
“ジュリアとリリアンの友情関係が素敵だった”

など普段の講座では発言されないような方も“サラッと”感想や意見を言われてやはり映像の力は違うなと思いました。

作品は1930年代、ナチスが台頭してくるヨーロッパが舞台なのですが、リリアン・ヘルマン自体がこの作品を発表する前にいわゆる【赤狩り】によってハリウッドを追放されていたという事実がありレジユメ等もこの辺を中心に解説を行っていました。

解説の中でリリアン・ヘルマンが語った言葉として
“数十年に1度、アメリカという国はこういった【赤狩り】を行うような不寛容な状況になる”というような発言を聞いて

まさに今年の2月まで、ブッシュ政権の中でその【数十年に1度のアメリカ】になっていたのだと思い、この作品というものが決してアメリカの過去の話で終わらないものなのだと気づき改めて作品の深さを思い知りました。

時間は2月、【芙蓉鎮】の上映会を行います。
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posted by フォーラム色川 at 19:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月19日

フォーラム デイズ  2009.10 

【フォーラム色川活動の記録】

★中村哲医師講演会
 
 「アフガンに命の水を」ペシャワール会現地報告会
(9月19日 練馬文化センター大ホール)スタッフ数名が参加。

 アフガニスタンの砂漠に24キロにわたる水路を完成させ、緑や畑や、現地の人びとに仕事も作り出しているNPOペシャワール会の日本人医師・中村哲さんは、会場びっしりの1500人の市民を前に語った。

「アフガニスタンに必要なのは武器でも兵隊でもない。水だ。何もない土地に外国の軍隊が来て、危険地帯になる」
 そう語って、またアフガニスタンに戻って行った。

★「ウイグルでいま何が起きているか」 
イリハム・マハムティーさん講演会 
(9月6日フォーラム色川主催 参加者50名)

 7月にウイグルのウルムチで起きた暴動は、実は、中国国内で起きた漢人によるウイグル人襲撃・虐殺が原因だったという。

 日本ウイグル協会会長のイリハム・マハムティーさん 「ウイグルではウイグル語教育が禁止され、ウイグル人は大学を出ても95%就職できない。ウイグルでは資源が豊富だが、その会社の仕事はほとんど漢族がやる。ウイグル人は貧しい生活を強いられている。

反抗すると監獄に入れられ拷問を受ける」。そしてこう付け加えた。「ウイグル人は人権意識の強い日本の支援に期待している」

「これ以上弾圧されてウイグル人に残されたものが命と誇りだけであるなら、ウイグル人は命をかけて闘うしかない」。

 北京で9.11が起きないように、日本にいるわたしたちができることは何か、考えさせられた。

★3民族連帯集会(9月19日)にスタッフが参加。
 在日のウイグル、チベット、モンゴルの人びとと支援者による集会とデモ。
 参加者約300名

 中国の少数民族への虐待・弾圧・虐殺は無視できない。しかし、ウイグルへの支援者は、「反中国」の人がまだ多数を占めている。

それでは、運動の市民レベルの広がりが困難になり、一部市民グループも離反してしまう。

 だからこそ、フォーラム色川のように自由でしなやかで運動の広がりを生む触媒のような存在が必要だ。そう望む人たちもいる。

 チェチェンも含め、少数民族の問題に目を向けていたい。 大メディアは中国やソ連に遠慮して報道は押さえがちである。それだけに、いま起きていることを、直視していたい。

★アンナ・ポリトコフスカヤさん追悼集会にスタッフ数人で参加。
 (10月2日 主催・チェチェン連絡会議)
 
 ある女性はチェチェンの子どもたちを助けようとし

 ある人はチェチェンの少女を強姦した犯人を訴えて

 ある若者はチェチェンでの真実を伝えようとして

 そして多くのこころざしある人びとが消えていった。わたしたちはその人たちを永遠に忘れないでいたい。

 ロシアやチェチェンでは、良心的なジャーナリスト・人権家であり続けることは、死を覚悟することでもある。

 ロシアのジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんが暗殺されて3年。その追悼集会が開催された。

 世界でも同じような集会があった。秘密警察に顔をチェックされる恐怖にありながら、ロシアでも追悼集会があり、多くの人が参加した。今年に入っても、ロシアやチェチェンでは、人権派ジャーナリストが何人も暗殺されている。

 いま世界起きていることに鈍感でいてはならない。

 人が圧政や独裁の恐怖の中で生きながら、それでも誇り高く生きている姿に鈍感であってはならない。

 それは色川大吉先生に教えられた基本的な姿勢である。


■現代史講座の報告レポート■

★色川大吉は戦後どう生きたか
 昭和戦後史第2巻『カチューシャの青春』 第1章「朝鮮戦争前夜」
          2009年8月1日  

 第1巻『廃墟に立つ』が終わり、今回より第2巻に入りました。
 栃木県・粕尾村から帰京した1949−1950の青年・色川大吉の人生を追うことになります。

 第1章のサブタイトルにもあるように、この時期はいわゆる「逆コース」の時代、ソビエトや「社会主義国」との冷戦が始まり、戦後の改革から体制強化の時代に入っていく世相になります。

 総選挙で共産党の躍進で幕を開けましたが、革新勢力、労働組合運動を潰す権力の圧力、下山、三鷹、松川などの怪事件、革新勢力の分裂、ドッジラインによる超デフレ政策など民衆の生活にとって経済、政治的に多くの問題が起こっていきます。

 色川先生も、失業、政党幹部との軋轢、世論の無理解の中での屈辱的な党員活動、民商での中小零細企業との関わりの中で時代に翻弄されていきます。

 この章には、粕尾村での変革に対する達成感などはほとんど感じられません。

 あるのは逼迫しどん底の生活の色川先生の描写です。
 しかしだからこそ、色川先生からかもし出される既存権力(保守であれ革新であれ)への鋭い批判と独立心が培われた時代なのではないかと感じました。

「そのせいでしょう。一九五〇年の後半、朝鮮戦争がはじまり、革新勢力が占領軍による弾圧、内部分裂という内憂外患よって後退したとき、

民商も大きく動揺し、会員数の減少、支部組織の弱化があらわれたのです。北区民商が底力を発揮し、わたしたちを唖然とさせたのはこのときでした。党が衰退しても自立した民衆の組織は揺るがなかったということです。(中略)」(一年半の活動報告)

 私自身はレポートをまとめていくうえで、現在へとフィードバックして共感した部分がありました。

 党員活動の苦しさは「北朝鮮拉致問題」の時のなんともいえない世相を、失業のなかでのどん底生活は「派遣労働者」の苦しさと通じるものがあるように思えました。

 そういった中でも色川先生は演劇への情熱を消しませんでした。

絶望的な生活の中でも演劇の夢へ思いをはせ、劇団活動へのめりこんでいきます。

 その活動は第2章、そしてこの本のタイトルであります『カチューシャの青春』へと移行していきます。

★色川先生は戦後をどう生きたか
  『カチューシャの青春』第2章「1951年〜1952年」
2009年8月1日  

 この第2章は、第1章と第3章が静の時代だとすると、動の時代だ。激変する時代に翻弄されながらも、演劇に没頭し、そして、自分の生き方に対しても彷徨している。

 先生は、あとがきでも書いている。「20代の若者を軽くみてはいけない。20代にすべてがある」と。

☆1951年〜1952年の激変する時代状況
1951年1月 
   社会党大会、平和3原則に再軍備反対を加え、平和4原則決議。
     2月 共産党武装闘争方針を提起。
     4月 マッカーサー、朝鮮戦争で強攻策を主張してトルーマ
        ン大統領と対立、解任、4月16日に帰国。
     9月 対日講和条約調印。日米安全保障条約調印。
1952年7月 破壊活動防止法・公安調査庁設置法公布
    10月 第5回総選挙
       (自由240,改心85,右社57,左社54,
         労農4,無所属・諸派26)共産全滅

☆新劇運動と共産党の関係
 
 共産党の文化活動の中心的人物である村山知義が作った新協劇団に参加。
 
 先生は演出家志望だったが、基本である演技の勉強に励む。

 文化工作隊の活動では、労働者達の前で政治風刺の芝居をして、共産党の選挙活動にも協力。
 
 労働者達と直接触れあうことで、後の問題意識にも繋がる良い経験をした。だが、共産党が分裂すると、劇団内部も分裂する。
 
 そして、先生は、新演劇研究所を新たに創設。
 
 左翼運動の分裂がそのまま劇団の分裂になる演劇の特質。
 演劇運動が、即左翼運動になる特質とは何か。現在につながるテーマでもある。

☆激変する状況の中、病に倒れる。そして手術から生還へ。
 
 先生が演劇病にとらわれているときも、朝鮮半島では死闘が続いていた。国内では、武装闘争路線にふみきった共産党と権力機関とが随所で衝突していた。
 
 そういう中、先生は結核の病に倒れる。かなり苦しい闘病生活だったが、手術が成功し生還を遂げる。

 戦後の中でも、最も激動の時代だったと思われるこの2年間、朝鮮戦争下ではあったが、先生は、青春を精一杯謳歌しようと、力の限りに活動していた。

 社会状況的にも、経済的、肉体的にも一番苦しかった時だが、それでも明るく前向きに生き抜いたこの時代が、後々の先生のすべての活動、生命力の基盤となったのではないだろうか。民衆史家としての視点もこの時代に大いに培われたと思う。

 若い世代はすぐ厳しい現実に絶望するが、色川先生の青春時代の厳しさ・重さを考えるとき、いまの「絶望」の軽さを感じる。

 だからこそ、先人の軌跡をたどり追体験する意味があると思う。
posted by フォーラム色川 at 20:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月09日

9/6 ウイグル緊急特別講演会レポート

残暑厳しい9月の最初の日曜日、ウイグル緊急特別講演会 日本ウイグル協会会長のイリハム・マハムティさんの講演会を行いました。

フォーラムとしましてはチェチェン、チベットに続く3回目の少数民族迫害の講演会となります。

当日は、ウイグル協会の方々などもいらっしゃって、本やバッジなどを販売していました。

会場.jpg

講演会に先立ちまして、フォーラム色川の安東の方からウイグル問題、今日の講演会の意義について


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“この問題を反中国という立場からではなく、少数民族問題という一点にたってなるべく自由な視点からアプローチしていきたい。限られた人間ではなく普通の人々が参加できる運動にしていかなければならない”という紹介の後に講演会が始まりました。

ほとんどの人は、ウイグルのことについて知らないということもあり、ウイグルの紹介から入りました。

イルハム.jpg


【ウイグル】という言葉は(団結、連帯)という意味を持っているそうです。

ウイグル語は日本語に似ている、当時は東ウイグル帝国があったということそして中国の悪意のある政治的な手腕によって中国の自治区にさせられてしまったということ。

自治区にしてからも中国はウイグルに対して差別的な行動をおこなっていったということです(教育差別など)

特にひどかったのは1964年(東京オリンピック)から92年までに46回の核実験(地下核実験も含む)を行ったがウイグルの住民たちにはそのことを知らせず、非難させない対応をとったということです。

放射能汚染にあっていることもしらされず、子供たちの多くが被爆をしたそうです。

イリハムさんも最近放映されたイギリスのドキュメンタリー『死のシルクロード』という番組によってウイグルの地が放射能に犯されていることを知ったということです。



中国政府はその地下実験の結果、地下資源を見つけて技術発展してくがその資源開発にはウイグル人は使っていないということです。

実は私は大学卒業前にウイグル自治区のウルムチ、トルファンにいったことがあるのですがいわゆるホテルや百貨店などのサービス業は確かに漢民族だけだったと思います。

ウイグルの大学生はそのため大学を卒業しても95lが失業していまうということでした。

反対運動やデモなどをやると【民族主義者】【宗教過激派】というレッテルが貼られて非常に嫌な思いをすることになる。

しかし中国の【民族の同化・浄化政策】はより過激になっていき、2000年にウイグル語禁止を開始して、2005年には幼稚園児にも中国語を教える政策を強行したそうです。

その結果、祖父の代(ウイグル語)と孫の代(中国語)とでは会話ができない。コミュニケーションをとるためには孫の親の代(ウイグル、中国語ができる)仲介しないといけない状況になっているそうです。

また、ウイグルの未婚の女性を中国の本土へ送って低賃金で働かせている。

なぜ、未婚なのか?それは中国の一人っ子政策によって男性人口が多くいびつな状態になっていることが背後にあり、それを補うために同化政策の一環として未婚女性のみ本土に送っているのではないか?っと話されていました。

イルハム2.jpg

ここ数日の混乱も、その前にウイグルの児童のみ予防接種という形で注射をされて、注射をされた数名の児童が死亡をするという
痛ましい問題がウイグル自治区では起こっていたそうです。

そのことを隠すための針指し魔は中国政府の陰謀ではないのか?っと語られていました。

質疑応答の中でイルハムさんは
“この状況が続き本当に差し迫った状態になったら、私も武器を持ち力で抵抗することになるかもしれない”

“日本はアジアの中で人権感覚に優れた国家です。どうかそのような状況にならないように私たちを支援して協力していただきたい”と言われました

講演会.jpg

最近の国際面ではウイグルの混乱が伝えられていますが、ウイグル側にたった情報は一切見つけることができません
(それはチェチェン、チベットの時も同じですが)

私自身が改めて無知であると気づかされた講演会でした。

日本での活動は、始まったばかりで決して大きいものではありませんが、フォーラムを含めてまたウイグル自治区に足を運んだことの
ある者として知り、伝え、活動を支援したいと思いました。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 22:40| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

7/4講座レポート

天気予報では天候悪し、といっていましたが蒸しているものの
ギンギンの照りもない天気のなか定例の講座が始まりました

午前中は、久しぶりの『色川大吉を読む』【明治精神史(下巻)】の朗読会です

7.4朗読.jpg

【明治30年代の思想・文化】の残りと【天皇制イデオローグの対決】を朗読しました

特に感じたのは【天皇制】のところでの内村鑑三の日露戦争批判です

(中略)そして、警世家内村、予言者鑑三は、簡潔な言葉で現実の処方箋をあたえていく。

軍備を縮小せよ、しからば「日本目下の大困難たる財政整理問題は晩春の霜」のごとく消えさるであろう。

社会問題に眼を注げ、「今や国民をあげて眼を西方満州の野に注ぐ」時、うち、「数十万人の人民が一人の政商のため鉱毒に泣」いているのではないか。

また、三十五年に日英同盟が締結された時、内村は「此同盟に依て日本は竟いわゆる『大陸政治』なるものの渦中に捲込まれた−。之の入りしは確かに死地に臨んだのである」と指摘し

万朝報理想団の幸徳秋水、堺利彦、安部磯雄、木下尚江らと共に、日露戦争の準備に反対し、「絶対的非戦主義」を唱えて、「逆賊」といわれながらも戦ったのである。(中略)


フォーラムでは「司馬遼太郎の本当のかたち」という講座の中で『坂の上の雲』を検証してきました

この章を読んで司馬氏の日露戦争前後の記述に内村鑑三の日露戦争批判が一遍の触れられていないことに違和感を覚えました。

司馬遼太郎のような博識の方がこのようなことを知らないはずがないとすると、小説を書くために意図を持って触れなかったのだと思います。

しかしそうだとすると、『坂の上の雲』という作品自体司馬氏が都合よく明治という時代を解釈した作品だったのだと改めて感じました。
(しかもこの作品を中心に【司馬史観】などといって、声を大にして唱えている方々には正直嫌悪感すら覚えます)


午後より色川大吉『廃墟に立つ』の2回目


廃墟に立つ 昭和自分史(一九四五‐四九年)

廃墟に立つ 昭和自分史(一九四五‐四九年)

  • 作者: 色川 大吉
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 単行本





第2章の友よ丘に眠れ−谷間の村

色川大吉が栃木県の粕尾村にナロードニキ(民衆の中へ)という意識をもって中学校の先生となり共同体の中にはいっていく部分です

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(中略)敗戦から2年余で農地改革のまっただ中。農村に入り、指導することで改革を進めることができるはずだ。
そう思ったんです。時代に浮かされていたのですね。

ところが、指導するなどおこがましい。教えられましたね。民衆とは何か。鍛えられました。歴史家は何を見ていかに聞くべきか。(中略)
                            
                               (朝日新聞 2008/7/15(夕刊) 追憶の風景)

この章を見て色川先生がなぜ【谷一郎】という名を語ったのかよくわかりました。

はっきりいってこの時代の色川先生って 歴史家ではなくただの一青年なのですね。

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先生とお話すると“僕は偶然旧制高校に受かったんだ”
といっておられましたが、読んでいるとやはり若者らしい傲慢さと正義感と変革の情熱が交じり合って地方の農村共同体で浮きまくっていることを赤裸々に書いています。

正直、私も情熱や正義感で動いて恥ずかしいことを若い時分(あ、いまもですか(////) )やっていたので

“こりゃ、【私】とか【色川大吉】で書くのはつらいや”と【谷一郎】で記述した色川先生の気持ちをすごく察してしまいました

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特に歴史家 色川大吉になる前のただの一青年だった【色川大吉】が自分と同じような過ちを犯したり、苦しんだりしているところ
に非常に共感を感じました。私の中で色川先生との距離が少し短くなった気がする章でした。

ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 13:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月12日

6/6総会&講座レポート

2週続けてのフォーラムとなりました

午前中は総会
事業報告、会計報告、事業計画と説明、承認され参加された会員の方からの要望、叱咤激励を多数いただきました

懇親会などでもいろいろと意見を聞いていますが、こういった形でお話を聞きますと皆さんが真摯に『フォーラム色川』のことを考えていただいていることに本当にスタッフ一同感謝致します。

午後からは講座『激動の戦後史とわたしたちの時代』の3回目
今回は第1巻にあたる『廃墟に立つ』から時代と色川先生の生き様を見ていこうという流れです。

担当者は会員のSさん。

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総会から参加でキャリーバックを持っての登場でした。何かな〜と思ったら『ラジカセ』(古い言い方ですね。。。今なんていうんだろ?)

丁寧なレジュメを中心に敗戦後からの時代の流れを色川先生のその当時の生き方、状況に照らし合わせて、しかもSさんの『自分史』を加えることによって多面的なレポートをしていただきました。



さらにラジカセ。

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これを使って昭和天皇の『敗戦放送』、当時流行った『リンゴの唄』、そしてSさんの思い出の『若者たち』を流して聴覚からもその時代を感じてもらおうという心配り、感謝です。

その中でも『敗戦放送』、私も含めて“シノビガタキヲ。。。シノビ、タエガタキヲタエ”のフレーズは頭に残るほどTVなどで聞いていましたが、全部聞いたことある人は少ないんじゃないでしょうか。

個人的に感じたのは“これって降伏する内容?”って感じです。

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正直、漢文調だから話している意味がわからないし、時折耳に入る単語は【神州】だとかなんかエキセントリックな言葉でインテリはともかく当時の普通の人たちは【空気を読んだ】んだなぁ〜と思いました。(中にはKYなやつもいたんでしょうが)

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参加していただきましたみなさんも【(歴史的な状況が)わかりやすかった】【イメージがしやすかった】と大変に好評でした。

Sさん、本当にありがとうございました。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 19:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

5.31色川大吉先生講演会レポート(概略)

5月の最後の日曜日、色川先生の講演会を開催しました。

当日ちゃんと来てくれるだろうか?というスタッフの不安を払拭するように色川先生は1時間前に会場に到着。

会員の方、ゼミOBOG(ニセ学生を含む)の方と和気あいあいと写真をとったり歓談をしていました。


今回の演目は先生が執筆した『若者たちが主役だった頃』の続編(70〜80年代)についてのお話でした。
(序盤、マイクの音声が弱く聞き取れなかった部分がありまして申し訳ありませんでした)

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70年代は労働組合運動、社会党の力が強かったため利益の分配が労働者の方に周り
その結果『(社会運動に興味を示さないで)自分の暮らしを楽しむ』といった人たちが増えてきた。

反面、やたら爆弾事件が多かった。特に【東アジア開放武装戦線】に代表される大企業をねらったいわゆるテロの多い時代(今で言う)でもあった。

そういった中で大衆は『革命・闘争運動』を見捨て、自分の生活を豊かにすることに走り

また学生運動も【よど号のっとり事件】と【連合赤軍事件(内ゲバ)】によって彼らを支えていた若者たちの愛想をつかされて弱体化してしまった。(その後、日本では政治運動なる学生運動は皆無とのこと)

そういった70年代のあと迎えた80年代は【グローバリゼーションの時代】

規制を受けない【マネー】の時代へと動いていった。
今思うとあのときに中曽根がいった【民活】などの言葉が現在につながっていたことを
“もっと早くに気づいていれば、対応もしただろうに。。。。当時はその流れをきづきませんでした”と語っていました。

色川先生の実感として、堤清二氏に助言されて購入した1600万の渋谷のマンションが
バブル全盛期は2億2000万にまで値段が上がって

“さすがに実態のないものがここまで値段が上がったのはおかしいとは感じた”と言われていました。

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また、この時期先生自身が異常なほど多忙だったという話もされていました

この頃の仕事は
○水俣調査
○自由民権100年
○日本これでいいのか市民連合
○国立歴史博物館などなど
(無論、これに大学の授業は当たり前のように行っていました)

と大きな仕事を抱えて『ちぎっては投げ、ちぎっては投げ』状態だったということでした

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そういう中で、次回の作品には事柄があまりにも膨大でしかも資料も莫大なため現在少々苦労をされているというとこでした。

ただし、どんなことがあっても『(この時代を)民衆がどのような気分で生きていたのか、感じていたのか』それを念頭において作っていきたいと話されました。

昨年と同様2時間を澱みなく疲れを見せないで話されました。

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質問では
天皇制の問題、今年夏にあるであろう選挙の問題などについて話されました。

で今年もでました色川節

“(昭和天皇が倒れた時)リベラル派と呼ばれる知識人はほとんどなにも発言しなかった。平和な時に発言することはできる。88〜89年のこういった時に言わないでどうする”

“政権交代はするでしょう。しかし政権交代してからが問題だ。鳩山にしても小沢にしても【竹下派】だ。政権交代後、新政権を民衆がしっかり監視しなければ同じことになる”

と話され会場を沸かしておりました

新作の創作のために大変さを伝わった講演会でしたが、逆に昨年以上に活力に満ちた色川先生の講演を聞かせていただきフォーラムの講座も負けてはいられないなと思いました
ラベル:色川大吉
posted by フォーラム色川 at 21:19| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日

5/16文学講座レポート

女性スタッフの文学講座も今回で最後。(次回は別の企画を行います)

最後の作品は桐野夏生『OUT』


OUT 上  講談社文庫 き 32-3

OUT 上 講談社文庫 き 32-3

  • 作者: 桐野 夏生
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 文庫





壮絶な物語です。。。。。。。
そこだけに目を奪われてしまいそうになりがちですが、流石はフォーラムの参加者読み込みが深い!

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『10年前に書かれた作品とは思えないくらい現代性がある』など意見がでていました。

私も読んで思ったのですが、それぞれの女性の生活がありますので全てではないのですが、今でいう『ワーキングプア』(この当時この言葉は無かったでしょう)や家庭の崩壊、介護問題などまるでその登場人物の家庭から【生活臭】や【夫婦の崩壊した家庭の空気】が漂って来るくらいのリアリティを感じました。

スタッフのIの発言ですが、こういった作品の読者の多くは女性だそうです。では、男たちは何を読んでいるのか?といえば『時代小説』が主流ということでした。
(藤沢周平のような現代性を持った時代小説ではないそうです)

現代で厳しい現実を見つめているのは女性なんですね〜

そういった意味では私は読んでいる時に井上陽水の『最後のニュース』の詩の一節が浮かんできました。

“眠りかけた男達の夢の外で 目覚めかけた女達は何を夢みるの”

なにはともあれ、現代を読み解くための1冊であったと思います。


午後より『司馬遼太郎の本当のかたち』
今回も前回に続きまして会員の方にレポートをお願いいたしました。

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図解をしながらいろいろと幅広くレポートを行っていただきました。
結局のところ、多くの方と読み進め勉強を開きましたが、明快な答えがでてはきませんでした。

ただわかったことは、我々がここ1〜2年かけて司馬遼太郎を学んできましたが、今年の11月に『坂の上の雲』が特別ドラマとして放映されるわけです。

会員のかたが当日チラシを持っていらしたり、また司馬遼太郎の『朝鮮感』などについての本も出版され始めました。

どうもTV放映を前に我々がやってきたことが、マスコミやメディアを含めて騒がしくなってきたようです。

我々も今まで勉強してきたことを踏まえて、TV放送直前にもう一度『講座』を開こうと話し合って幕を閉じました。

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参加されたみなさん、本当にありがとうございました。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 19:21| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

1/17【文学】と【歴史】のレポートです

1/17に文学と歴史の講座を行いました。

午前中は文学講座
今回の作品は宮部みゆきの『火車』です。





17年ほど前に書かれた作品ですが、現在の金融恐慌、そして『派遣切り』などのこともあり色あせるどころか、まさに現在進行形で進んでいることがリアリティを持って書かれていて本当にすごかったです。

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参加された酔流亭さんは『世界 2月号』の寺島実朗さんの論文を読まれて、その内容のことが『火車』にも画かれていることに驚嘆と感動をしていました。

宮部みゆき『火車』を読む
http://suyiryutei.exblog.jp/tb/10221906


また常連の会員の方は、当時の自分の部下がローンに負われて離婚した話などをしてくれ、ローン破産が本当に身近にあることなのだということを感じさせてくれました。

スタッフの安東が資料の中に『火車』が直木賞にノミネートされたが、受賞できないで終わり、その選考理由が書いてある資料を持ってきていて
“選考委員の幾人かは、作品をほとんど斜め読みだ”
“渡辺淳一の選考内容は酷すぎる”など叱責をしておりました。

作品の中では、ローン地獄に陥っている人たちは【ありふれた幸せ】を掴むために苦しんでいくのですが、2009年の現実は【人間として最低限】の生活をするために苦しんでいる人たちが多くなっている状態です

バブルがはじけてから約20年。私たちの生活が思った以上に壊れている状態を感じた講座でした。

次回の作品は桐生夏生の『OUT』です。



午後からは『司馬遼太郎の本当のかたち』

作品は『坂の上の雲』(三)(四)







レポートは会員の方2名に行ってもらいました。




一人目の方は、作品の中の司馬遼太郎のアジア蔑視の部分を資料とともに発言されていました。
特に旅順虐殺については、司馬遼太郎の立ち居地に批判的でした。

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また“存在がわかっているのに(意図的に)事実を無視する”という司馬遼太郎の書き方にも不満をもち、最後に『あくまでも【娯楽作品】』というスタンスに問題があるといわれていました。

休憩後2人目のレポートです。
レジュメがすばらしかった。。。。。

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軍事的な部分を含めて時系列に並べなおしてくれたおかげで日露戦争の流れがよくわりました。

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彼自身は“福田定一(司馬遼太郎)には問題があるが、活用仕方次第ではないか?”という考えも提示していました。

レポート後、喧々諤々の論じあいになり大変に盛り上がった講座になりました。
レポーターのみなさんありがとうございました。

そういった話を聞いている中で
最近私自身が知人に聞いた話ですが、今の若い子で司馬遼太郎ファンを名乗っている人に“『坂の上の雲』は読んだの?”と訊ねたところ“読んでいませんよ”という答えが帰ってきました。

今回感じたことですが、この機会に『坂の上の雲』を読んだわけですが(8巻途中)、とにかく現物がつまらない(私の感想)ということがわかりましたが、読まずに年末にやるドラマというフィルターを通してこの作品に立ち会う人々は果たしてどう感じるのだろう?

一抹ですが、言いようの無い不安に駆られました。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 20:07| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(1) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月15日

12/6『現代史を読む』緊急特別セミナーレポート

朝から雲がかかり寒い土曜日に今年最後の『現代史を読む』の講座を行いました。

今回は、今もっとも新自由主義との戦いで【熱い】品川京品ホテルで行いました。

京品ホテル.jpg

フロント.jpg

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130万イス.jpg
放漫経営で社長が買った130万円のイス

準備も含めて中に入り、講座の場所の会議室へ。
ここはTVでご覧になった方がいると思いますが、ホテル社長と労働者が子団体交渉をした場所です。

会議室.jpg

もっと大きいところかと思いましたが、意外と狭いのにまず驚きました。

講演は、東京ユニオンの書記長 島崎由喜男さん

島崎書記長.jpg

まずは今回の経緯について。
私も報道でリーマンの子会社サンライズファイナンスの関係があり、リーマンが潰れたためこういったことになったということは知っていましたが。

もうひとつリーマンの意を受けたペーパーカンパニーのLCホテルズという不動産会社(100l出資会社)を使っていたということを知りました。

リーマン側としてはそのLCホテルズに京浜の権利者からホテルを買い取るというを考えていたようです。

そうなると結果【リーマンのお金は動かずに所有権だけが移転する】という売買契約のからくりが起こるのです。

島崎さんのいうことでは、おそらくリーマンなどの投資会社は今回の京品ホテルのようなことをやって【濡れ手に粟】のようなビジネスモデルを作っていたのではないだろうか?と推測を立てていました。

現在では、LCホテルズはホテルの売買契約に解除通告をだしているのですが、相手の弁護士が性質が悪くなかなかあきらめないということです。

現在でも、まだ従業員の方がやっていることは不法占拠ということですので、とにかくまずは早いうちに法的根拠を持った自主営業を勝ち取り、長期的には売却せずに経営を続けていきたいと言われました。

運動としてはこういった大きな案件は10年に一度しかない。
しかも今回の活動は署名にしても普通は【動員署名】が多い中、街頭の署名の数の方が
トンでもなく多いということです。北海道から沖縄まで東京に来たついでに応援のために立ち寄り署名をしていくかたも本当に多いということです。

.


ほかにも募金をおこなっても通常では考えられない金額が日々入れていただいていると話されていました。

これはおそらく多くの人たちが、京品ホテルの戦いに自分の思いを託しているのでは?話されて本当にそうだと思いました。

現在戦っている人、また戦いで負けた人、あるいは私のように職場の中でずるずると戦うことを避けている人たちにとって京品の戦いは【希望の星】となっているのだと従業員の方に話しているそうです。

そういった中で従業員の方は日々たくましくなっているそうです。
なぜたくましくなったか?それは
【同情だけでは勝つことはできない】
【戦うことによって自立をするしか救えない】
弱いものは個では勝ち目がないのだから、お互い連携して戦うしかない】


と聞かされ運動だけではなく、自分の今の仕事でもそういう意識でないといけないと思いました。

2008年の年末、未曾有の不安と厳しい現実が目の前にある中、自分にとっては耳が痛いながらも、なにか一歩踏み出せられる勇気をもらったセミナーでした。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 22:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

11/1『現代史』講座レポート

今回はワーキングプアについてスタッフ4名が
○ ワーキングプアの現状・貧困ビジネス・セーフティーネット活動
○ 正社員のワーキングプア・世間におけるワーキングプアの捉え方
○ 小泉政権下における法律改正よってどのような時代になったのか?
○ 世界的な経済から観たワーキングプアの考察
という内容でレポートしました。

○ ワーキングプアの現状・貧困ビジネス・セーフティネット活動
担当のTさん。当日職場のスタッフが急に休みが入ったため、職場の制服のままこのレポートのためだけに昼休みを使って参加してくれました。

小泉政権下、規制緩和の名の下に派遣法が改正されて今まで限定的だった派遣の業種が広げられ製造業にまで入るようになり、現在の工場現場の働いても生活できないという状況が深刻化していった。

また10年くらい前まで就職氷河期といわれる時代に、大学卒業で新卒採用をされなかった人たちは派遣として働いているが正規の社員になれないまま現在を迎えているということを自分のエピソードを交えながら報告しました。

また、Mクルーやゼロゼロ物件など貧困ビジネスについても紹介しました。

そういった中、自分たちでセーフティーネットを作ろうという団体も生まれてきてその代表が『もやい』という組織があり、そこでは月々の会費300円を払えば【生活助け合い金】として10000円を会員の人に提供するということです。

実際10000円で何がどれだけの足しになるのか?というよりはその10000円を提供することによって当人が現状を話しにきてくれ、解決方法をいっしょになって考えられることが重要なのだとレポートしました。

以前、あるトークライブの中で【貧乏と貧困のちがいは、貧乏はお金に窮乏している状態だが、貧困はお金だけでなく人権も人間関係もなくすことだ】という話を聞きそういった状況から多くの人たちを救おうとしている組織があるのだとわかりました。

しかし、そのグループも今スポンサーだった会社の危機によってただでさえ財政が逼迫している中、危機的な状況なのだということも報告されました。


○正社員のワーキングプア・世間におけるワーキングプアの捉え方

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フリーターにおけるワープア。過酷な現場と請け負いと派遣の違いについて。
正社員のワープア。雨宮さんの弟の実体験。1日一食で17時間労働。仲間のに辞めるに辞められない生き地獄。
フリーター&大手企業OL&主婦による対談。世間の無理解がワープアをいっそ
う追い込む。

○ 小泉政権下における法律改正よってどのような時代になったのか?

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小泉政権下で郵政民営化法案、靖国参拝問題が騒がれましたが、その中で弱者がないがしろにされる法案(改正派遣法、障害者自立支援法など)が成立していきます。
それは経済が市場原理主義になる中、セーフティーネットを国や地方が作らなくてはいけないはずなのに明らかに逆の流れになっています。

最近、規制緩和論者の竹中ちゃんは勉強法の本など出していますが、セーフティーネットという言葉はコメンテーターに呼ばれても一言もいいません(昔はとってつけていましたが申し訳程度には言っていたのですが、さすが人間えらくなると横柄になりますね)

○世界的な経済から観たワーキングプアの考察
 ではなぜ、こういった経済体制になっていったのか?
 大枠をダイジェストで70年代から現在にかけてダイジェストで話しました。
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結構難しく、重い話の中参加者の皆さんがスタッフのレポートに耳を傾けていただいたこと本当に感謝いたします。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 23:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

明治村・馬籠/妻籠フィールドワーク(馬籠・妻籠篇)

今年初めて(?)エアコンのついた部屋で熟睡、そして8時前に起床。

TVをつけると自民党の総裁候補たちが臆面もなく朝からTV出演。
汚染米、サブプライムローンの問題があるのに“どんだけこいつら暇なんだ!”と思いつつも朝食へ。参加者のみなさんなどもう集まっていました。

9時前にホテル出発。
電車を使って移動から、急に高速バスで移動と予定変更。昨日の天気を打って変わって今日は雨。。。。。。

バスと歩きで、11時半頃馬籠に到着。外は激しい雨。
私と参加者Sさんはみやげもの用の唐傘を購入して雨水を凌ぎました。

バス停から15分ほど歩くと見覚えのある坂道が。馬籠宿の入り口です。

馬籠水車.jpg


馬籠囲炉裏.jpg

急な坂道を歩きながら少しいくと、水車や囲炉裏のある建物が見えてきました。

そこからかれこれ10分ほど歩くと島崎藤村記念館があります。
見学後、隣の大黒屋でお昼。ここは藤村の初恋の人といわれる“おふゆさん”の生家だということです。

大黒屋.jpg


馬籠.jpg

食事後坂を登りきったところに石の看板がありました。


バスへ乗って妻籠へ。

この時分になってやっと雨が上がり、なんともいえない景色をかもし出していました。

妻籠.jpg

馬籠、妻籠の風景は酔流亭さんのブログで
http://suyiryutei.exblog.jp/tb/9558640

妻籠の脇本陣、本陣を見学。
『篤姫』で掘北真希がやっている【和宮】が脇本陣に宿泊していたことを知り、少し驚きと感慨を感じました。

見学していてあっという間に時間が過ぎ南木曽駅へ。
雨のために電車が遅れたため予定のひかりに乗れずに、【のぞみ】に振替乗車ということになりました。東京についたのは22時少し前。

参加者のみなさん、そして度々のスケジュール変更に対応してもらいましたスタッフTさん本当にありがとうございました。

やはり、旅行っていいものだな〜っと改めて思った1泊2日でした。
posted by フォーラム色川 at 17:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月24日

明治村・馬籠/妻籠フィールドワーク(1日目 夜)

明治村では帝國ホテルの後、監獄の見学や明治の銭湯で足湯につかり、呉羽座(くれはざ)で奈落を見学、漱石の千駄木の家を観るなどしていました。

13年前に訪れたときに比べると、体験や建物の内部に入れる企画などがあり、ただ漠然と建物が置かれているという感じから変化していました。

本来は16時には明治村を出るはずでしたが、なにせお酒をみると席に座り、飲み始める集団なので17時すぎまで村中に留まってしまいました。

夜は夜で、予定があって『菊井かつ』という店に18:30ということだったのですが、誰かが道も知らないのに先頭で闊歩して歩くので、道を間違えて相当待ち合わせに遅れてしまいました。

菊井かつ.jpg

菊井かつえび.jpg

写真は『菊井かつ』の馬肉の串と海老フライです。
馬肉串はさっぱりしていておいしかったです。最初ドバッと10本(1人前が10本)出てきたので驚きましたが、本当に10本くらいはあっという間にお腹の中におさまってしまいます。

『菊井かつ』を出て、先ほど『菊井かつ』を探して迷っていた時に、雰囲気のいい店をみつけたのでそこに入りました。

銭湯居酒屋.jpg

名古屋駅から15分ほどのところにある昔銭湯だったという店。まず外見から雰囲気がちがう、また中も銭湯の脱衣所をうまくアレンジして、少しアダルトな感じのいいお店になっていまいた。

この近くには、昭和初期に建てられた民家などを活用して居酒屋を営業している店が他にも数店あって、なんともいえない空間を街にただよわせていました。

民家居酒屋.JPG

写真はその飲み屋のひとつ『寝猿』の店舗の中です

12時半過ぎに繁華街を後にしてホテルへ。
私は愛知地区の深夜番組『ノブナガ!』を観てから就寝。


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2008年09月23日

明治村・馬籠/妻籠フィールドワーク(明治村編)

9/20.21台風直撃かと思われたまさにその日
久しぶりのフォーラム色川の宿泊フィールドワークを行いました。

まずは一日目、明治村の報告です。


新幹線改札.jpg

朝、8時過ぎに東京駅の新幹線改札に集合
とりあえず昼間では飲酒は厳禁ということで出発。

犬山駅.jpg

11時過ぎに犬山駅のバス乗り場に到着。
じつはここまでにトラブルとそのトラブルがミラクルに解決するといったことがあったのですが、それはまた別の話。

門.jpg

明治村門、確か旧制高校のどこかの門だったです

明治村レンガ通り.jpg

入場して、バスに乗ってレンガ通りを通りまずは食事に

昼飯風景.jpg

明治カレー.jpg

13年前食事をした場所でカレーフェアをやっていました。
ビールにあいます。


明治村帝国ホテル.jpg

帝国ホテル内装.jpg

まず、帝国ホテル
すばらしい。。。。でも13年前にあった記憶がない
ここで少しお茶をしました。

改札お嬢様.jpg

改札のお嬢様です

私の携帯のカメラではこの辺が容量の限界でした

参加してくださった酔流亭さんのブログにはもっといい写真がUPされています。
http://suyiryutei.exblog.jp/tb/9552054

1日目の夜、それと2日目は後日UPします。








posted by フォーラム色川 at 16:58| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月11日

ペマ・ギャルポさん講演会レポート

7/5久しぶりに暑い週末を迎えた日にペマ・ギャルポさんの講演会が行いました。
当日は、マスコミなどに発表されない中30名を超える参加者がいらっしゃいました。

ペマさん1.JPG

まず、始めに東京新聞の資料をみなさんに配り
“中国は大きくないし古くない”と度肝を抜かれることを話されひきつけられてしまいました。

資料.jpg

要は現在の中国は、チベット、モンゴル、ウイグル地区など含めての中国であって、その体制になったのは1959年からだということ。またその他民族の領土の広さは現在の中国の60lになり、そう考えると中国は大きくないし、古くないということがわかりました。



他民族の侵略をしてとった土地に同化政策など非人道的なことをやった中国政府の話や、1979年に中国政府のトウショウヘイと独立以外はチベットと話あうといったこと、また、現在の中国政府、中国経済状況なども含めて詳しく講演をしていただきました。

ペマさん2.jpg

また、時間ぎりぎりまで参加者のみなさんの質問にも答えていただきました。

参加者.JPG

個人的には、チベットのデモなどには5年ほど前から参加していたのですが、チベットの歴史や現状についてここまで詳しく講演してもらい目が覚めた気分でした。
どうしても私たちはマスコミの影響からか中国政府よりの感覚が無意識のうちについているなっと反省させられました。
ラベル:講座情報
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2008年05月02日

4/29『現代史を読む』レポート(1)

【朗読会「色川大吉」を読む(第12回) 明治精神史】
9人民ニヒリズムの底流〜困民党指導者、須長漣造の思想〜

 1年半以上かけてきた上巻(文庫版)もいよいよ最後。古文書形式でなかなか読みづらいところでしたが、参加者全員で読破することができました。

参加者の一人、御手洗さんからは
“当時、黄河書房の初版(表紙が緑色のもの、かなりレアものです)を買って読んだ時は、やはり古文書などは「飛ばし」て読んでいたので、わからなかった。今回声に出し、読んだことで理解が深まった”という感想をいただきました。


また、山本さんからは
“『朗読会』を始めた当初に比べると、古文書の読みがだいぶつっかえなくなり、うまくなりましたね”とスタッフは褒められました。

次回からいよいよ後半に突入です。
色川先生の本は声を出して読むと抑揚があって面白いうえに、理解をしやすいとわかり今後が楽しみな読書会です。


【第21回 現代史を読む(緊急)編】

4/26に長野に取材にいった安東より報告がありました。

4/29安東

緊急レポート
「騒乱の長野・聖火リレーの現場から」

4/26は私もTVを見ていたしたが、おそらくテレビで放送されていることは、ほんの一部だろうと思っていました。

4/29チベットお客(1)

“マスメディアは「衝突」あるとそこに駆けつけていく”
“マスメディアが報道しないいろいろな動きがあった”と話しました。

私もチベットの解放デモには数回でているので、とにかくTVに放送されているのがほとんど「右翼」っぽい人たちだったので違和感を感じていました。

話を聞いていると、写真のように
中国、チベットの人たちに働きかけ、ノートにお互いの考えを書いてもらい、そしてハグ(抱きしめる)といったアピールをしている若いグループがあり

双方の友好訴えるグループ.JPG


また、年配の方ですが、写真を持ち歩きたまにその写真を道路におき、静かなアピールをされている人たちもいたそうです。

チベット支援C..jpg

とにかく、マスメディアが報道しなかった多種多様なアピールがそこにあったとわかりうれしくおもいました。


レポートの中で
感じたことは、日本の外国人労働者に対しての扱いの件です。
中国を含めアジアの人たちにやっている外国人労働者に対しての日本政府の扱いは、非人間的だということ。

外国人労働者を単に「労働力」をしてみていること。
この感覚では、「親日」を育てられないばかりでなく、かえって「反日」にして故郷に戻しているということに関しては、非常に納得しました。


また、中国国内の問題としてチベットの問題は、事実関係を教えられていない状況であるわけですが、もし事実関係がわかったとき中国の人々が、「人権」「民主」「平和」に関してどう判断するのだろうか?

中国留学生A..jpg

という問題提起のような形でレポートは終わりました。

日本そして世界は国際経済の観点からみて、中国をはずしては考えられない状態になっています。
そういった中で、先の「人権」「民主」「平和」を中国という大国がどうやって解決してくのだろうか?そういったことに常に目を向けていなければいけない、そしてそれを意識していくことがチベット問題の解決につながっていくことになるのかもしれないと思いました。

4/29チベットお客(2)



ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 00:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月12日

3/29司馬遼太郎のレポートです

 文学講座の後、午後からは司馬遼太郎を読むとなりました。
昼も過ぎ、武蔵野公会堂の前は井の頭公園に花見に向かう人たちでごった返していました。

 そういう中、20名を越える参加者が足を運んでくださいました。

3/29 PM参加者

さて、今回は前回(1/19)に続きまして『この国のかたち(四)』を廻し読みしながら皆さんに忌憚ない意見をいただくという形をとりました。




今回は、第4巻の招魂、別国から統帥権(一)〜(四)の章を読みました。

 午前の村上龍の作品を読んだからでしょうか?
とにかく非常にリアリズムに乏しいと感じました。文藝春秋の巻頭エッセイで文化論を論じようとしたわりに観念規定、特に近代国家、国民国家に対して観念的に捉えている感じがなんとも違和感を覚えてしまいました。

“作品の中で観念とリアリズムが交錯している”とどなたかが発言されましたが、まさにその言葉そのままの作品だと思いました。

3/29 司馬遼太郎

 特に明治政府、明治憲法に対する解釈は、非常に思い入れが激しく思いました。
維新の志士たちが作り上げたものに悪いものはないような書き方です。
『旧憲法的日本は、他の先進国と同様、三権(立法、行政、司法の三権)の分立によってなりたっていた。』(別国より)

 確かに法律上はそうなっていたけど、実際の使われようは違うのでは?
(それは今の憲法も同じですが)

正直、このエッセイではどうも
・ アジアで初めてできた近代国家日本は優れている。
・ その優れた日本が悪くなった昭和6年からの十数年間はいわゆる『統帥権』による軍部参謀たちが悪い
この点を強調したいがために、明治政府の具体的な行政活動、天皇大権のことなどかなり思い込みで表現されていると感じました。


幕末や中世を見る方法で近代史を解釈して断定する。

こういった部分がいわゆる『司馬史観』と呼ばれて都合のいい方たちに都合よく使われているのだと思います。

今回の読書会でそういった司馬遼太郎の方法論がなんとなくわかったような気がします。

3/29 参加者(2)

次回は5/24に開催します。

こちらは参加者 酔流亭さんのブログです
http://suyiryutei.exblog.jp/tb/8249737
ラベル:司馬遼太郎
posted by フォーラム色川 at 01:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月07日

桜の雨が降る(枝川お花見レポート)

この土、日曜日、東京は本当にポカポカ陽気で『春』といった感じでした。
そんな中、4/6フォーラムでは昨年フィールドワークでお世話になりました。枝川朝鮮初級学校へ花見に行きました。

花の見ごろはやはり先週だったという感じです。
ただ散り始めた桜の花びらが飲み物に自然とはいり満開とはちがったなんともいえない風情をかもしだしてくれました。

4/6 花見全景

宋校長先生も含め20名近くの参加していただきました。

宋校長先生は、来年度から校長先生を辞して、枝川初級学校の新校舎の建替えのためより大きな立場から学校と関係を持つことになるとお話がありました。

4/6 校長先生

栄転の話があったようなのですが、それを蹴り自分が生まれ育った枝川に新校舎を建てることが、この土地で生まれ育った自分の使命だと話しておられました。
(この話を聞いた女性人がもうメロメロ、私もここで働かせてくださいという発言まで飛び出しました)

4/6 参加者

各人の自己紹介(初めて参加された方もいらっしゃいまして)や新校長先生などのあいさつ、枝川の支部長さんのお話などまったりしながらも、実のある話があり
“こういった集まりこそお互いを理解する上で大切なことなのだな”
などと感じた春の昼下がりでした。

4/6 参加者(2)

参加者のみなさん本当にありがとうございました。
posted by フォーラム色川 at 17:46| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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