2010年03月15日

講座「現代史を読む」第36回のご案内  

色川大吉先生は戦後史をどう生きたかH

わが60年代『若者が主役だったころ』を読む

 第2章 安保デモの渦中で
 
 日 時 2010年4月3日(土)午後1時半〜

 会 場 武蔵野公会堂会議室 (開場午後1時)

(午前中は「『明治精神史』朗読会」 午前11時から。 講座「現代史を読む」は資料代500円。「『明治精神史』を読む」は300円)

 4月の講座は、『若者が主役だったころ』の白眉、色川先生の60年安保デモへの参加と、そこで見て体験した「前衛党と学生・労働者の対決・落差」「大衆と指導者の乖離」を歴史的論文『困民党と自由党」に結晶させた決定的な時代を読んでいきます。

色川先生自身、「1960年の6月は私の人生の画期となった」と表現しています。歴史家・色川大吉はいかにして生まれたか、それを目の当
たりにするような章です。

 当然、これにまつわるサブレポートのテーマはいくつも考えられることでしょう。「安保条約とは何か」「1960年6月に何があったのか」「浅沼稲次郎暗殺事件とテロリズム」あるいは「吉本隆明について」etc…。

スタッフに限らず、会員・参加者からもレポートする人をつのっていきたいと思っています。

 ともかく、テーマはむつかしそうですが、実はいつもその時代の特徴や社会風俗や流行、映画や文化などにも触れつつ、いったいどんな時代だったか、どんなに面白いことが起きていたか、その時代が浮かび上がってくるようなわかりやすい講座にしています。

 さらにこのあと、名著『困民党と自由党』を読み込んでいきたいと思います。

 こんな地味な講座なのに、毎回予想を超える数の方々が集まります。ぜひご参加ください。

 なお、色川先生の著書『若者が主役だったころ』は会場に用意しております。お求めください。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 23:25| 東京 ☀| Comment(24) | TrackBack(0) | フォーラムインフォメーション(告知) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月12日

『週刊金曜日』PRESENTS vol.21

「左翼・右翼がわかる!」

左翼・右翼の源流から昨年の政権交代まで、重要人物や事件などを、縦横無尽に語り尽くす。

【出演者】
雨宮処凛(『週刊金曜日』編集委員)
佐高信(『週刊金曜日』編集委員)
鈴木邦男(「一水会」顧問)
南丘喜八郎(『月刊日本』主幹)

OPEN 18:00 / START 19:00
【入場料】予約1500円 / 当日2000円(共に飲食代別)
予約は電話予約
●阿佐ヶ谷ロフトA 03-5929-3445(17:00-24:00)
または、WEB予約にて受付中(WEB予約、電話予約、当日券の順で入場)
http://www.loft-prj.co.jp/lofta/reservation/reservation.php?show_number=330
ラベル:講演会
posted by フォーラム色川 at 20:51| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 色川大吉先生インフォメーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

3/6は講座です

色川大吉先生は戦後史をどう生きたかG

 わが60年代
『若者が主役だったころ』を読む

  第1章 新しい人生への再出発(後半) 

特別写真展 色川大吉先生と1960年代の多摩の風景
 

 日 時 2010年3月6日(土)午後1時半〜
 
 会 場 武蔵野公会堂第1会議室 (開場午後1時)

(午前中は「『明治精神史』朗読会」を午前11時から。講座「現代史を読む」は資料代500円。「『明治精神史』朗読会」は300円)

詳細は
http://firokawa1996.seesaa.net/archives/20100227-1.html
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 20:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれに。。。。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

渡辺 治さん講演会のお知らせ

【九条科学者の会五周年の集い】

(中略)昨年の総選挙で自民党は大敗し、民主党中心の政権へと政権交代が行われました。新政権についても様々な見方はありますが、九条の会運動の広がりの中で、憲法九条をめぐる情勢には変化も現れてきています。

この五周年の集いでは、渡辺治先生をお迎えし、今の情勢をしっかりと分析、これからの九条運動のありかたをみなさまと共に考えたいと思います。

参加は無料です。お誘いあわせてご参加ください。


★日時:2010年3月14日(日) 13:00〜16:40
                  (開場12:30)

★場所:明治大学リバティータワー1F 1011教室

千代田区神田駿河台1−1
JR御茶ノ水駅(御茶ノ水橋口)3分


★13:05 記念講演 渡辺 治さん(一橋大学教授)      
        『新しい情勢の下での九条運動』 

 14:35休憩
 15:00活動報告・経験交流・討論
      活動方針・集会アピール採択
 16:40閉会

九条科学者の会HP
http://www.9-jo-kagaku.jp/

ラベル:講演会
posted by フォーラム色川 at 20:04| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他インフォーメーション(告知) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月03日

フォーラムデイズ   2010年 NO.1-2

■「色川大吉は戦後史をどう生きたか」第7回レポート 
〜『若者が主役だったころ』いよいよ佳境に!

  サブレポート@「日本共産党第六回全国協議会について」 
                    

                    スタッフ   伊藤

 日本共産党第六回全国協議会(六全協)とは、1955年7月に開催された、それまで同党が展開してきていた武装闘争方針の放棄を決議した会議の名称です。

 今回のサブレポートでは、同党がなぜそのような武装闘争路線を選んだのか、そしてその路線はなぜ放棄されたのか、さらにその決議がもたらした影響などについて報告しました。
 
 1950年1月に、コミンフォルム(1947年に創設されたヨーロッパの共産党・労働者党の情報連絡機関)の機関紙に発表された「日本の情勢について」という論文がこの一連の動きの発端でした。

 これは当時「アメリカの統治下においても平和革命は可能」としていた日本共産党を激しく批判し、日本の独立を実現するために闘争にたちあがることを呼びかける内容でした。

 同党内はこの批判を受け入れるかどうかで、所感派(徳田球一ら)と国際派(宮本顕治ら)に分裂します。

 そして主導権を握った所感派により、51年開催の第5回全国協議会において「日本共産党の当面の要求」(51年綱領)と「軍事方針」が決定。
 
 この方針に基づき、「山村工作隊」「中核自衛隊」といった組織がつくられ、各地で派出所の襲撃や火炎瓶闘争が展開されます。

 しかしこういった過激な路線は世論から支持されず、52年10月の総選挙で日本共産党は公認候補が全員落選し、35の議席をすべて失います。
 
 こうしたなか、所感派の徳田球一が53年に亡命先の北京で死去。同派の野坂参三も国際派の宮本顕治と和解します。

 こうして迎えた55年7月の第六回全国協議会で、「第二の重要な問題は、党は戦術上でいくつかの大きな誤りをおかした。(中略)誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である」「党中央はすでにこの一月、極左冒険主義的な戦術と闘争形態からはっきり手をきる決意をあきらかにした」と決議、従来の武装闘争路線は否定されます。
 
 ここで問題になるのは、色川先生も『若者が主役だったころ』で書かれているように、それまで党の方針に従って活動していた人たちのことです。
 
2.6サブレポ1.JPG



 「極左冒険主義で、誤りだった」という一言で片付けられてしまった彼らのこれまでの命がけの闘争は何だったのでしょうか? そしてこれからどうすればいいのでしょうか?
 
この非合法活動にかかわった人たちを描いた作品として、柴田翔『されど我らが日々−』(文春文庫)と大島渚監督作品『日本の夜と霧』(60年10月9日公開、12日上映中止)があります。

 深く傷ついた彼らを、現在も日本共産党は「分裂していた一方が勝手にやったことで、党としての活動ではない」(『日本共産党の八十年』より引用者要約)として突き放したままです。

 この大転換により、それまであった「前衛党は間違いをおかさない」という日本共産党の無謬性の神話と同党への信頼が崩壊し、新左翼各派が結成される種がまかれる要因のひとつになったという意味で、この六全協とその決議は戦後史の大きなポイントだということがいえます。


 色川先生の転換点を追体験する 
サブレポートA「スターリン批判とハンガリー革命について」


                     スタッフ 本橋

 1917年のロシア革命でロシア社会民主党(共産党)はレーニンが率いていましたが、1924年1月にレーニンが死ぬと、スターリンが後継者に選ばれました。

スターリンは非常に傲慢な冷酷無比、そして疑い深い人物でした。この男がソ連のトップに立ったせいで粛清、処刑の嵐が吹き荒れ、膨大な数の人が不慮の死を遂げたのです。


2.6サブレポ2.JPG

 スターリンの死後3年たった1956年2月、ソ連共産党第20回大会が開かれ、フルシチョフが秘密報告をしました。この報告はスターリンに対する個人崇拝批判であり、スターリンの行った粛清・処刑の内容が具体的に明らかにされました。

しかしスターリン体制自体の批判ではなく、むしろ温存であり、このことは後のハンガリー事件において世界が知ることになるのです。

 早くもスターリン批判と同じ年の10月23日、ハンガリー共産党の圧政に反発した学生たちが、複数政党制などの16項目の民主化要求をかかげて首都ブタペストでデモを行い、治安警察と衝突。新たに労働者が加わり、市民革命に発展しました。

これにソ連軍が介入しますが、混乱を収めるために追放されていた改
革派のナジ・イレムがハンガリー首相に就任し、ソ連軍の撤退を求めたため、いったんは撤退します。

 しかし、ワルシャワ条約機構からの脱退と中立国化が宣言されてのち、再びソ連軍大部隊が侵攻し、無差別破壊を行いました。これにより、ハンガリー国民約3000人が死亡、20万人が西側に亡命し、ナジ・イレムは捕えられ2年後に処刑されます。

このようにして、東欧の民主化を力で押しつぶしたのです。

 日本では、自民党の芦田均と社会党右派の西尾末廣らによる「ハンガリー救援会」が立ちあげられ、多くの募金も集まり、1957年1月より約1カ月の間、慰問班による救援が行われましたが、医師や看護婦を伴ったものではありませんでした。

ハンガリー難民日本受け入れの働きかけに対しても、ハンガリー事件直
前の1956年10月19日に成立した日ソ国交回復への悪影響を懸念して、実現されませんでした。

 進歩・左翼知識人たちも、おおむねハンガリーに対しては冷たいものでした。

 一方で、ハンガリーへのソ連の軍事行動と日本共産党のスターリニズムを共に批判する、新左翼と呼ばれる一群が現れました。

 そのような意味で、ハンガリー動乱は、日本のそれまでの進歩的文化人にとっての「リトマス試験紙」のような役割を果たしたのかもしれません。
 
大きな変動が起きたとき、その人がどう反応するか、そこにその人の本質が表れるからです。

そこから出発して、どうして自分はそのことにきちんと向き合おうとせず、従来の立場や判断や、党や常識や人から言われたことを自分の判断であるかのように思いこんでしまったのだろうか。

そういう発想をもてなかったら、その時点でその人は思想家としては死んでいます。

 若き色川大吉先生が、ハンガリー動乱のとき、ソ連の戦車が抵抗する市民に発砲したニュースを聞いて、敬愛する遠山茂樹に憤懣を叩きつけて「遠山さん、これはいったいどういうことなんですか」と詰め寄ったところには、若き色川先生の熱い感性や高い意識を感じます。

実際、六全協とハンガリー事件は色川先生の共産党からの脱党を決定的にします。
 
このように、「スターリン批判とハンガリー動乱」は、戦後思想史の転換点だったと同時に、若き色川先生の思想的転換点にもなりました。

ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 01:05| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

フォーラムデイズ   2010年 NO.1

■名画から現代を読む第2回「芙蓉鎮」に40人が参加■



いったいあの「文化大革命」とは何だったのか!   
「映画『芙蓉鎮』と毛沢東の時代」 
                          2010年1月16日  スタッフ 田中

 『芙蓉鎮』は、文化大革命の前後16年間(1963年〜1979年)の混乱の中、辛苦に満ちた人々の人生を描いた映画です。『芙蓉鎮』とは湖南省南端に設定された、芙蓉の花に彩られた小さな鎮(村)です。

芙蓉鎮.jpg

 胡玉音という米豆腐売りの美女をヒロインに、彼女をとりまく人々の運命が政治によって翻弄されてゆく姿を通して、文化大革命というものが残した深い傷跡をリアルに描き出しています。

この小さな村で起こる事件は、当時の中国そのものを映し出しているのです。

 文革の時代、数千万人の人が迫害され死亡し、多くの文化人たちが自殺したり殺されたりしました。そして、当時政治闘争に動員された世代は、その後の下放運動で高等教育が受けられず、その後の中国に教育文化の発展に大きな悪影響を与えたといわれています。

 日本でも、かつて文化大革命への熱狂的な支持者がたくさんいましたが、未だにあの熱狂は何だったのか、どんな意味があったのか、明らかにされていません。

当時、文革を支持していた人たちは、口を閉ざしていますし、文革を痛烈に批判した文学、映画は日本にはほとんどありません。

それは、文革を庶民の立場から痛烈に批判したこの映画や、ほかの映画やノンフィクションなど、再び言論弾圧が強くなるまでは、続々と発表・出版された中国とは基本的な違いがあります。

 この上映会には、今回、新しい参加者が大勢来て下さいました。皆さん、「文化大革命とはどういうことで、何をもたらしたのか」についてずっと疑問を抱えてきたり、ほかの方の意見を聞きたいということでした。

その反面、「ここに来ることにかなり迷った。」「どういう参加者が来るか不安だった」「皆さんの発言の内容によっては、自分の意見を言うのは控えたい」と言う方も何人かいて、30年以上経った今なおくすぶり続ける、「文化大革命」の重さを感じました。

1.16名画.jpg

 上映後には、最初は不安がっていた参加者が、自身の体験談を話して下さいました。

その方は、若い頃に中国系の会社に勤めていたので、日本にいながらにして「文化大革命」の辛酸を受けた話をされました。批判めいた発言をしたことで、社内から異端視され、迫害を受けたのです。

当時の思いを話されたことで、最後にはすっきりとした表情で帰っていかれました。

「間違っていること」を堂々と発言出来ないことの悔しさが解消されたでしょうし、文化大革命への疑問は自分だけが持っていたものではなかったという共有感を、参加者全員が感じた上映会でした。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 20:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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