2009年10月30日

10/17『 名画から現代を読む』レポート

10月の真ん中
雲の多い土曜日に新企画『名画から現代を読む〜映画ジュリアとリリアン・ヘルマンの時代 』を行いました

まず作品の上映会を行い、休憩をとって感想やその作品の背景などを話す形になりました。

10.17上映会.jpg

私自身は10年前に安東さんに言われ銀座でリバイバルをやっているのを観て思い出しました。

安東さんの世代の方もいらっしゃっていましたが、ほとんどのの方が初見ということでした。

感想としては
“時代背景がわかりづらかったがサスペンス形式なので面白く観ることができた”
“ジュリアとリリアンの友情関係が素敵だった”

など普段の講座では発言されないような方も“サラッと”感想や意見を言われてやはり映像の力は違うなと思いました。

作品は1930年代、ナチスが台頭してくるヨーロッパが舞台なのですが、リリアン・ヘルマン自体がこの作品を発表する前にいわゆる【赤狩り】によってハリウッドを追放されていたという事実がありレジユメ等もこの辺を中心に解説を行っていました。

解説の中でリリアン・ヘルマンが語った言葉として
“数十年に1度、アメリカという国はこういった【赤狩り】を行うような不寛容な状況になる”というような発言を聞いて

まさに今年の2月まで、ブッシュ政権の中でその【数十年に1度のアメリカ】になっていたのだと思い、この作品というものが決してアメリカの過去の話で終わらないものなのだと気づき改めて作品の深さを思い知りました。

時間は2月、【芙蓉鎮】の上映会を行います。
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 19:11| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月27日

台が原宿(山梨旅行つづき)

【スタッフの独り言10/27】

さて、道の駅で新井先生に遭遇して、泊まった宿で教えてもらった台が原宿へ移動。

ここは甲州街道沿いの宿場町で明治天皇が宿泊したこともある場所だそうです。

10.25明治天皇.jpg

ただ残念なことに、明治天皇が宿泊した北原家(お酒の七賢の蔵元)以外はほとんど当時の面影はなく、馬篭、妻籠宿を堪能したものとしてはやや物足りないものでした。
(そういう意味では、馬篭、妻籠の保存運動の凄さを改めて思い知りました。)

10.25七賢.jpg

その北原家の前にあった【信玄餅屋】(たしか。。。。和菓子屋だったかも)の上で切り絵のギャラリーがやっていました。

きりえ.jpg

製作者は【百鬼丸】という方で、ご当地らしく『武田24将』のきり絵を展示してありました。

10.25ギャラリー.jpg

10.25ギャラリー2.jpg

昨今、【歴女】(歴史好きの女性のことらしい)なるものが話題をさらっているので、宣伝すれば相当な人が訪れそうなくらいパワフルな切り絵でした。
(2月ころまで展示をしているそうです)
posted by フォーラム色川 at 21:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム スタッフの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月26日

150`離れた偶然

【スタッフの独り言10/26】

10.24と25を使いましてフォーラムのスタッフと山梨に旅行に行きました。

その2日目のこと。

お土産を買おうと【道の駅】へ足を運び、各人ご当地の野菜やお土産を物色していたのですがそれ以外にもスーパーがあったので“なにかあるかな?”と足を運んで、【ただのスーパー】だったとげんなりしてみんなに合流しようとしていたところ


目の前に“どっかで見かけた人だな〜”っと漠然とおもっていましたらなんとフォーラム色川の顧問【新井勝紘先生】ではありませんか!

10.25新井先生.jpg

正直驚きました。ただでさえご多忙でフォーラムのイベントにもお顔を出せないのに東京から150`近く離れた場所で偶然出会うことになるとは。。。。。。


今年にはいって2月に今度講演会をやっていただく小島社長、8月には昨年講師でいていただきましたペマ・ギャルポさんそして昨日は新井先生と。。。。。


街の中で3名のフォーラムの関係者と出会うという偶然をしてしまいました


フォーラムの他のスタッフも和気藹々と挨拶が出来て素敵なハプニングを楽しんでいました。

ラベル:旅は道づれ
posted by フォーラム色川 at 20:11| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | コラム スタッフの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

結局は【お金】のためだけの球団経営

【スタッフの独り言10/22】


開幕前のマリーンズのバレンタイン監督に続いて、球団創立で初の2位でAクラスそしてクライマックスシリーズを勝ち取ったイーグルスの野村監督が不可解な解任劇があって現場は動揺しているようです。

ノムさん舞台裏を激白「楽天、来年は最下位や」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091013-00000000-ykf-spo

以前原監督を解任したときに、読売の渡辺恒雄氏がいった“読売グループ内の人事異動だ”と同じ価値観が【ロッテ】や【楽天】で続けられているということではないのでしょうか。


特に楽天の三木谷氏は、本人【規制緩和】だ【グローバリゼーション】だのかっこいいこと発言しておりますが

CS出場の実績やファンの思いを無視して【契約の問題】でバッサリ官僚的に切るあたりこの人の言っている【規制緩和】したあとの世界なんて「顧客の満足」とか言っている割には、結局は自分に都合のいいルールづくりなんだろうと感じてしまいます。

以前読んだ『プロ野球2.0』という本にプロ野球を持つ経営的な利点がこう書かれています。

(中略)会計税務上、企業が使ったお金全部が費用になるわけじゃないんですね。(中略)親会社にしてみれば、子会社のサポートするのはいいけど出したお金が税法上費用に認められるかどうかが、大変重要なファクターなわけです。

ところが、プロ野球の世界では、昭和29年の国税庁通達により、税務上、親会社の補填が全額損金処理できることになっています。
『プロ野球2.0 第3章 弁護士・水戸重之 「スポーツと法務」より』

現在、12球団のプロ野球のオーナーでどれだけの人が純粋に野球が好きで球団を持っているでしょうか?

少なくとも楽天の【三木谷】氏は、私の目には野球というスポーツが好きで球団を獲得したとは思えません。(こんな言葉をいったて彼にはお金になる規制緩和しか望んでいないので蛙の面なんでしょうがね。。)

マリーンズのバレンタイン監督がインタビューの中でこんな言葉を残していました。

(中略)日本のファンは一生懸命、応援してくれるが、その見返りが小さすぎます。

(中略)ファンがお客さんであるという意識を持っている球団がいくつあるでしょうか。私は40年間、日米のプロ野球の世界にいて、ファンを大切にしなかったために優勝しても人気が出ないチームも見てきました。

だから、ファンを大切にしてきたつもりです。(中略)

                (朝日新聞 2009.10.14)
ラベル:スポーツ
posted by フォーラム色川 at 21:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム スタッフの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月19日

フォーラム デイズ  2009.10 

【フォーラム色川活動の記録】

★中村哲医師講演会
 
 「アフガンに命の水を」ペシャワール会現地報告会
(9月19日 練馬文化センター大ホール)スタッフ数名が参加。

 アフガニスタンの砂漠に24キロにわたる水路を完成させ、緑や畑や、現地の人びとに仕事も作り出しているNPOペシャワール会の日本人医師・中村哲さんは、会場びっしりの1500人の市民を前に語った。

「アフガニスタンに必要なのは武器でも兵隊でもない。水だ。何もない土地に外国の軍隊が来て、危険地帯になる」
 そう語って、またアフガニスタンに戻って行った。

★「ウイグルでいま何が起きているか」 
イリハム・マハムティーさん講演会 
(9月6日フォーラム色川主催 参加者50名)

 7月にウイグルのウルムチで起きた暴動は、実は、中国国内で起きた漢人によるウイグル人襲撃・虐殺が原因だったという。

 日本ウイグル協会会長のイリハム・マハムティーさん 「ウイグルではウイグル語教育が禁止され、ウイグル人は大学を出ても95%就職できない。ウイグルでは資源が豊富だが、その会社の仕事はほとんど漢族がやる。ウイグル人は貧しい生活を強いられている。

反抗すると監獄に入れられ拷問を受ける」。そしてこう付け加えた。「ウイグル人は人権意識の強い日本の支援に期待している」

「これ以上弾圧されてウイグル人に残されたものが命と誇りだけであるなら、ウイグル人は命をかけて闘うしかない」。

 北京で9.11が起きないように、日本にいるわたしたちができることは何か、考えさせられた。

★3民族連帯集会(9月19日)にスタッフが参加。
 在日のウイグル、チベット、モンゴルの人びとと支援者による集会とデモ。
 参加者約300名

 中国の少数民族への虐待・弾圧・虐殺は無視できない。しかし、ウイグルへの支援者は、「反中国」の人がまだ多数を占めている。

それでは、運動の市民レベルの広がりが困難になり、一部市民グループも離反してしまう。

 だからこそ、フォーラム色川のように自由でしなやかで運動の広がりを生む触媒のような存在が必要だ。そう望む人たちもいる。

 チェチェンも含め、少数民族の問題に目を向けていたい。 大メディアは中国やソ連に遠慮して報道は押さえがちである。それだけに、いま起きていることを、直視していたい。

★アンナ・ポリトコフスカヤさん追悼集会にスタッフ数人で参加。
 (10月2日 主催・チェチェン連絡会議)
 
 ある女性はチェチェンの子どもたちを助けようとし

 ある人はチェチェンの少女を強姦した犯人を訴えて

 ある若者はチェチェンでの真実を伝えようとして

 そして多くのこころざしある人びとが消えていった。わたしたちはその人たちを永遠に忘れないでいたい。

 ロシアやチェチェンでは、良心的なジャーナリスト・人権家であり続けることは、死を覚悟することでもある。

 ロシアのジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんが暗殺されて3年。その追悼集会が開催された。

 世界でも同じような集会があった。秘密警察に顔をチェックされる恐怖にありながら、ロシアでも追悼集会があり、多くの人が参加した。今年に入っても、ロシアやチェチェンでは、人権派ジャーナリストが何人も暗殺されている。

 いま世界起きていることに鈍感でいてはならない。

 人が圧政や独裁の恐怖の中で生きながら、それでも誇り高く生きている姿に鈍感であってはならない。

 それは色川大吉先生に教えられた基本的な姿勢である。


■現代史講座の報告レポート■

★色川大吉は戦後どう生きたか
 昭和戦後史第2巻『カチューシャの青春』 第1章「朝鮮戦争前夜」
          2009年8月1日  

 第1巻『廃墟に立つ』が終わり、今回より第2巻に入りました。
 栃木県・粕尾村から帰京した1949−1950の青年・色川大吉の人生を追うことになります。

 第1章のサブタイトルにもあるように、この時期はいわゆる「逆コース」の時代、ソビエトや「社会主義国」との冷戦が始まり、戦後の改革から体制強化の時代に入っていく世相になります。

 総選挙で共産党の躍進で幕を開けましたが、革新勢力、労働組合運動を潰す権力の圧力、下山、三鷹、松川などの怪事件、革新勢力の分裂、ドッジラインによる超デフレ政策など民衆の生活にとって経済、政治的に多くの問題が起こっていきます。

 色川先生も、失業、政党幹部との軋轢、世論の無理解の中での屈辱的な党員活動、民商での中小零細企業との関わりの中で時代に翻弄されていきます。

 この章には、粕尾村での変革に対する達成感などはほとんど感じられません。

 あるのは逼迫しどん底の生活の色川先生の描写です。
 しかしだからこそ、色川先生からかもし出される既存権力(保守であれ革新であれ)への鋭い批判と独立心が培われた時代なのではないかと感じました。

「そのせいでしょう。一九五〇年の後半、朝鮮戦争がはじまり、革新勢力が占領軍による弾圧、内部分裂という内憂外患よって後退したとき、

民商も大きく動揺し、会員数の減少、支部組織の弱化があらわれたのです。北区民商が底力を発揮し、わたしたちを唖然とさせたのはこのときでした。党が衰退しても自立した民衆の組織は揺るがなかったということです。(中略)」(一年半の活動報告)

 私自身はレポートをまとめていくうえで、現在へとフィードバックして共感した部分がありました。

 党員活動の苦しさは「北朝鮮拉致問題」の時のなんともいえない世相を、失業のなかでのどん底生活は「派遣労働者」の苦しさと通じるものがあるように思えました。

 そういった中でも色川先生は演劇への情熱を消しませんでした。

絶望的な生活の中でも演劇の夢へ思いをはせ、劇団活動へのめりこんでいきます。

 その活動は第2章、そしてこの本のタイトルであります『カチューシャの青春』へと移行していきます。

★色川先生は戦後をどう生きたか
  『カチューシャの青春』第2章「1951年〜1952年」
2009年8月1日  

 この第2章は、第1章と第3章が静の時代だとすると、動の時代だ。激変する時代に翻弄されながらも、演劇に没頭し、そして、自分の生き方に対しても彷徨している。

 先生は、あとがきでも書いている。「20代の若者を軽くみてはいけない。20代にすべてがある」と。

☆1951年〜1952年の激変する時代状況
1951年1月 
   社会党大会、平和3原則に再軍備反対を加え、平和4原則決議。
     2月 共産党武装闘争方針を提起。
     4月 マッカーサー、朝鮮戦争で強攻策を主張してトルーマ
        ン大統領と対立、解任、4月16日に帰国。
     9月 対日講和条約調印。日米安全保障条約調印。
1952年7月 破壊活動防止法・公安調査庁設置法公布
    10月 第5回総選挙
       (自由240,改心85,右社57,左社54,
         労農4,無所属・諸派26)共産全滅

☆新劇運動と共産党の関係
 
 共産党の文化活動の中心的人物である村山知義が作った新協劇団に参加。
 
 先生は演出家志望だったが、基本である演技の勉強に励む。

 文化工作隊の活動では、労働者達の前で政治風刺の芝居をして、共産党の選挙活動にも協力。
 
 労働者達と直接触れあうことで、後の問題意識にも繋がる良い経験をした。だが、共産党が分裂すると、劇団内部も分裂する。
 
 そして、先生は、新演劇研究所を新たに創設。
 
 左翼運動の分裂がそのまま劇団の分裂になる演劇の特質。
 演劇運動が、即左翼運動になる特質とは何か。現在につながるテーマでもある。

☆激変する状況の中、病に倒れる。そして手術から生還へ。
 
 先生が演劇病にとらわれているときも、朝鮮半島では死闘が続いていた。国内では、武装闘争路線にふみきった共産党と権力機関とが随所で衝突していた。
 
 そういう中、先生は結核の病に倒れる。かなり苦しい闘病生活だったが、手術が成功し生還を遂げる。

 戦後の中でも、最も激動の時代だったと思われるこの2年間、朝鮮戦争下ではあったが、先生は、青春を精一杯謳歌しようと、力の限りに活動していた。

 社会状況的にも、経済的、肉体的にも一番苦しかった時だが、それでも明るく前向きに生き抜いたこの時代が、後々の先生のすべての活動、生命力の基盤となったのではないだろうか。民衆史家としての視点もこの時代に大いに培われたと思う。

 若い世代はすぐ厳しい現実に絶望するが、色川先生の青春時代の厳しさ・重さを考えるとき、いまの「絶望」の軽さを感じる。

 だからこそ、先人の軌跡をたどり追体験する意味があると思う。
posted by フォーラム色川 at 20:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート(報告) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

講座「現代史を読む」特別講演会のご案内

 何を考えているんだ! 生きるんだ! 「100億円の借金王」が
 自殺志願者を救う時代とは何か!
       
 

小島宣隆氏講演会
 
0203小島社長.jpg

     日 時 2009年11月7日(土)午後1時半〜 
     会 場 武蔵野公会堂第1・第2会議室 (開場午後1時)
       (資料代 1000円)

 昨年の9月リーマン・ブラザーズの破綻によって、新自由主義経済に一つの幕が下りました。

 しかし日本の経済状況は酷いものです。2007年、2008年と企業の倒産は1万件をこえ(帝国データバンク調べ)

自殺者の数は50代を中心に10年連続で3万人を超えています。警視庁の調べでは、自殺をする理由は、経済・生活苦が23%を占め、健康に次いで第2位になっています。

 政権交代で就任した亀井金融担当大臣は、中小企業や個人ローンのために元本の【返済猶予制度】をうたって、少しでも切羽詰まった人たちを助けようとしていますが

金融危機の状況の時、国民の税金で助けてもらったことをもはや忘れてしまったのか、金融機関は必死の抵抗をしています。

『100億円の借金王』と呼ばれる人物がいます。

小泉構造改革以前に起きた「土地バブル時代」に不動産屋として100億円以上の借金を背負った『借金王』(商標登録済)です。

 今も多額の借金を抱えている小島社長は、しかし、長い景気低迷の中で資金繰りに困ったり、家のローンの支払いに困り“もう死ぬしかない”と絶望した人の相談をすすんで引き受け

『死んではいけない、あなたがこの程度の借金で死ぬのなら、100億の借金をしている私は何回自殺をしないといけないんだ』『こうすれば大丈夫!元気に生きていきなさい』とアドバイスをしています。

国家も金融機関も誰も助けてくれない人々を『100億円の借金王』が助けているのです。

 今回はこの『100億円の借金王』こと小島宣隆氏をお迎えして、なぜ彼が膨大な借金を背負ったのか?その生き甲斐、信条は何か、なぜ人びとを救っているのかをお話していただきます。

その中から、小泉構造改革とその前時代の「土地バブル時代」の『失われた20年』の近過去を振り返り、日本経済、特に規制緩和、バブルの真只中で七転八倒した人物の視点から、日本経済の“今”、そして政権交代後の時代の本質に迫りたいと思います。ぜひ多くの方のご参加をお待ちしております。

フォーラム色川からのご案内

●今後のスケジュール●

☆「現代史を読む」第32回 
12月4日(土)午後1時半 武蔵野公会堂会議室
 「色川大吉著『カチューシャの青春』を読む」(第3章)
(午前11時からは『明治精神史』下巻・朗読会)

☆「名画から現代を読む」第2回
  「映画『芙蓉鎮』と文化大革命の時代」
 2010年1月16日(土)午後1時〜武蔵野公会堂会議室

☆「司馬遼太郎の本当のかたち」第11回
  〜『この国のかたち』『坂の上の雲』をふりかえって〜
 2010年2月9日(土)午後1時半〜武蔵野公会堂会議室

☆特別講演会(「チェチェン問題」特別ゲストを予定)
 2010年3月6日(土)午後1時半〜武蔵野公会堂会議室

☆フィールドワークの予定
 2010年4月(第2土・日予定)
 「司馬遼太郎記念館と京都の桜ツアー」 

☆アンナ・ポリトコフスカヤ暗殺3周年・追悼特別上映会
 「アンナへの手紙」
 11月20日午後7時〜 文京シビックホール 小ホール
  (主催・チェチェン連絡会議・アムネスティー・インターナショナル日本)
 詳しくは下記 
http://d.hatena.ne.jp/chechen/20090821


★フォーラム色川へのお問い合わせ
 お手紙・メールまたは電話にて
  090−4914−4597(安東)または
090−5770−7707(伊藤)まで
  
★ フォーラム色川のメールアドレス f.irokawa@jcom.home.ne,jp
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 11:26| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | フォーラムインフォメーション(告知) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

10/17は講座です

映画は常に時代を反映するか
 
 映画『ジュリア』と
  リリアン・ヘルマンの時代 

 
 日 時 2009年10月17日(土)午後1時半〜 
 
 会 場 武蔵野公会堂第4会議室 (開場午後1時)                       
              
(資料代500円)



詳細は
http://firokawa1996.seesaa.net/archives/20090918-1.html
ラベル:講座情報
posted by フォーラム色川 at 19:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれに。。。。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

10.2アンナ・ポリトコフスカヤ追悼集会

【スタッフの独り言10/13】

チェチェン問題で暗殺されたジャーナリストの3周忌に足を運びました。

JRの水道橋駅を降り、東京ドーム方面へ
まるで異次元にはいったようにジャイアンツのオンパレード

ラミネス.jpg

それを横目に文京区区民センターへ


若干、遅れて入ったため集会は始まっていました。

10.2追悼集会.jpg

アンナ・ポリトコフスカヤさんを中心としたロシアのジャーナリストたちがプーチン政権の闇と命がけで戦っているBS世界のドキュメンタリーが上映されていました。

10.2アンナ位牌.jpg

今年の春ころ、NHKスペシャルで【ロシア】についての特集をやっている中でジャーナリストに対する圧力のこともやっていましたが地上波の番組とは比較にならない空気を漂わせていました。

上映後、リレートークへ。

10.2林克明.jpg

フォーラムでも講演をしていただいた林克明さんが今何ができるのか?
ということに関して
“フリージャーナリストだけでなく、心あるジャーナリストを集めて連携をしていく活動を始めたい”
とお話になりました。

数名続いた後
チェチェンの方で日本で初めて申請が認められた方がお話になりました

10.2チェチェン難民.jpg

お話が終わり質疑応答の時フォーラムの安東が
“日本人に対してどのような支援を求めますか?”

という問いかけに
“とにかく多くの人たちにチェチェンの現状を知ってほしい”
“遠いチェチェンの支援も大切ですが、我々難民を支援することもチェチェンの支援につながります”答えていました。

10.2チェチェン難民2.jpg

数年前のチェチェン、昨年のチベット、今年起きたウイグル、まだあまり知られていない南モンゴルのことなど

マスメディアを読むとほとんどが海外の通信社(体制側)の情報をただそのまま丸写しをしているだけの記事だとわかり彼らの訴えや怒りとかまったくかけ離れたものだと改めて理解しています。

こういった迫害、抑圧されている人々の情報はインターネットや自分の足で歩いて講演会を聞くということからしかみつからないのだと思った集会でした。
ラベル:講演会
posted by フォーラム色川 at 19:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム スタッフの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

9.27『週刊 金曜日』トークライブに行きました

【スタッフの独り言10/11】

8月の総選挙が終わり、政権交代が起こってから約1ヵ月が過ぎた時
恒例の阿佐ヶ谷で『金曜日』のトークライブが開かれました。

やはりというか、阿佐ヶ谷LOFTは大入り通常の前方の席には座れず
フォーラムの会員のSさんがたまたま来ていたのでその横の桟敷席に
座らせていただきました。

まず登場は平沢勝栄氏
時間がないということで北村編集長との対論という形をとりました。

8/30の選挙特番で特に印象的だったのが平沢氏でした。
深夜のTBSの番組で自民の惨敗について聞かれた平沢氏は

“もう出直すしかありませんね、自民党は。建設的野党になって出直します”

と啖呵をきったところ、共産党の小池議員に
“それ、うちがいってるんですけど”

っと突っ込まれたところが今回民主党の圧勝で緊張感がなくなった選挙選の中で唯一おかしかったところでした。

9.27平沢勝栄.jpg

そういった意味でもかなりの期待をしていましたが、期待を裏切らないお話が聞けました。

北村編集長が、下町の選挙区に<島村>と<平沢>がいるが自分の予想では
<島村>は落選<平沢>は当選という風にいっていたがその通りになった
平沢さんが本当にいろいろなところをこまめに周っていると話したところ

平沢氏は
“自民党議員は自分の居心地のいい場所しかまわらない、私は工場の労組や居心地の悪い場所を回る”

“自民党の常識は国民の非常識”

“自民党は衆議院の惨敗でもわかっていない、今度の参議院補選で負けても判らない、来年の参議院選で負けてもわからないんじゃないか?”

“公明票は薬物である、確かに手堅い票は読めるけれど、公明党によって逃げる票もある、そういう意味では数値ほどの成果はでない”

また民主党にかんしては
“例外はあるけれど実力者をトップにつけているので、それなりの仕事をすると思う”

“ただ、<根回し>などをしないようなので衝突するだろうが、あまりあわてないでやって欲しい”とエールを送り会場を後にしました。

次に参加しましたのは
民主党の横粂議員、無所属の城内議員、やや遅れて鈴木宗男議員、評論家の佐藤優氏が舞台を埋めました

9.27横クメ.jpg

話の流れは、鈴木、城内、佐藤氏が外務省関係なので(横粂氏も外務委員希望ということもあり)外務省の実態についての
話主体になりました。

特に驚いたのは外務省の飯倉別館という外務省の迎賓館に【ウラ】があってそこには高級ワインなど7000本以上あり一部外務官僚キャリアは酒池肉林の宴をもようをしてるという話(専属のバトラーまでいるってことでした)

そういう話が国民の税金で行われているのに表に出てこない(鈴木、佐藤氏は知っていましたが、元外務官僚の城内氏は知らない様子でした)

また、外務省では【シツモンシュシショ】(漢字は不明)という外務省の中だけの、怪文書が回っていてその中には、政治家の悪口などが収められて回覧されているということでした



こういうことをちゃんと国民の目にさらさないといけないっと鈴木氏が声を上げて話していました。


その後、休憩に入り
後半で佐藤氏が彼の持論の現在はファシズム進行していることを強調

9.27城内実.jpg

鳩山総理の【友愛】という概念もひとつ方向を変えると非常に危うい思想になる。
民主党がいっている【国家戦略局】なるものは戦前の【企画院】に似ているものではないのか?
(年配の方に聞かせると懐かしがっていたということでした)

もし、これから鳩山内閣がこれだけやっているのに落ちこぼれる奴は知らないなどと【排除の論理】を出してきたら気をつけるべきだと警鐘をならしていました。


権力とかけ離れたところに居る自分としましては刺激を受けたトークライブでした
ラベル:講演会
posted by フォーラム色川 at 14:52| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム スタッフの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

甲州かつぬまぶどう祭り2009

【スタッフの独り言10/7】


10月の最初の土曜日、恒例になりました【ぶどうまつり】にフォーラムスタッフで足を運びました。

昨年同様、一名同じミスをして遅れるというハプニングがありましたがそれ以外はつつがなく【かつぬまぶどう郷】へ

2009ぶどう祭り.jpg

私が家を出るときは、曇りながらもゆるく日差しもさしていなので傘ももたずにでかけたのですが、山梨は雨。

10.3ぶどう祭り.jpg

10.3ぶどう祭り3.jpg

雨宿りついでに、まずはバーベキュー。

食事をしている間に予報どおり雨もあがり外は絶景です。

10.3ぶどう祭り4.jpg


ワインを2本空け、気持ちよくなったところで【ぶどう祭り】の会場へ

日差しは強くなるは、会場が水浸しだわで会場の外のいつも手酌の会でとっていただいている場所で歓談しながら宴会。

10.3budou.jpg

今年はスタッフの安東が買ってきた『葡萄古酒』が評判でした。
(緩いブランデーのようで、水割りにするとおいしそうでした)

この時点で私はかなりベロベロ。
会場をあとにしてぶどう園で葡萄を購入(会社に送ったのですがどうも住所がだいぶ読みづらかったようで。。。。反省)

家に帰り、10時には就寝。
翌日、自分のかばんのなかにワインのボルトが2本。

その重たさに気づかないのですから。。。。。

しかし、年に一度の楽しいお祭り今年も満喫致しました。

ラベル:旅は道づれ
posted by フォーラム色川 at 19:57| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム スタッフの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

通じるものですね〜、英語

【スタッフの独り言10/5】

9月中、山手線命名100年ということで100年前のモデルで
山手線が数週間走っておりました。



ものめずらしさに、携帯で写真を撮っていると

近くに海外の観光客の方がいらっしゃいまして
私に向かって“Meiji chocolate?”と不思議そうに問いかけられました。(そのモデルデザインのスポンサーが明治チョコだったので)

山手線命名1.jpg

で私
“This Yamanote Train 。。。One handred years old model.”
と答えると

“Oh、、!”と納得してくれました。

高校時代、関係代名詞、不定詞あたりから文法ってものがまったくわからなくなった自分ですがこのくらいのレベルなら一応会話ができるのだと中学英語の授業に感謝をした瞬間でした。

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ラベル:雑談
posted by フォーラム色川 at 20:19| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム スタッフの独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月02日

"かくも長き不在" プーチンのロシアと米原万里三周忌

【安東つとむのWEB街風通信(秋季号)】

米原万里さんが、わずか56歳でガンに倒れ、惜しまれながら逝ってからもう3年過ぎた。

 小・中学時代の5年間をプラハのロシア学校で過ごしたときの友情や思い出をいきいきと描き、政治に翻弄されたこどもの悲劇の真実を浮かび上がらせた『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』。

かつてのダンス教師の謎を追いながら、いまもなお本質的には変わらぬロシアの権力者たちの醜さおかしさを描いた『オリガ・モリソヴナの反語法』。

もうこんな傑作に、わたしたちは会うことができない。

 3年目の5月、米原万里が生涯を終えた鎌倉市の鎌倉芸術館で「米原万里 そしてロシア展」が開催された。連休中には特別講演会もあり、井上ひさしさんの講演と「米原万里、そしてロシア」のシンポジウムが開かれた。

 会場の小ホールの定員は600人だが、開会前から周辺は黒山の人だかり。キャンセル待ちの列まで長く伸びているのには驚いた。東京ならともかく、鎌倉にもこんなに万里さんのファンはいたんだ。

そんな感想は、実はとても不遜だったとあとから気がつかされるのだが。

 井上ひさしさんの講演は、米原万里の反語法の意味を、戯作者らしく愉快に素敵に語る魅力的な講演だったが、今回のテーマではないので、それはまた別の機会に。

 この日の白眉はシンポジウムだった。万里さんの恩師でもあるロシア文学者の川端香里男さん、元NHKロシア支局長・小林和男さん、それに万里さんに励まされ続けたロシア文学者・沼野恭子さん。

 シンポ全体が白眉だったとはいわない。
そのある瞬間から、それは劇的に変わったのだ。

 小林氏は元NHK支局長の人脈を活かして最近プーチンに会ったそうだ。そこで「びっくり仰天の体験」をしたという。

 「プーチン元大統領・現首相のことを皆さんは嫌いでわたしもそうだったが、ロシアの若い女の子はプーチンが大好きだ。

プーチンは官邸に柔道場をもっていて、そこには加納治五郎の等身大のブロンズ像や写真があり、彼は毎日拝んでいる。

プーチンは柔道は単なるスポーツではなく、日本の文化や伝統、精神から生まれたもので、柔道を知らなかったら、自分はここにいなかったと言う。

日本人はそういうプーチンのことを知らない。もっと理解すべきだ」

 わたしは体が震えるほど怒っていた。では、万里さんがあんなにも憤り、死ぬまで「わたしはチェチェン病だ」と言っていたほど同情していたチェチェン人の民族的悲劇を起こし武力制圧と民族浄化さえ推し進めているのはいった誰なんだ!

 ロシアではプーチンに批判的で反体制的なジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんやリトビネンコが次々に殺されているのを、どう考えているのだ!

 すると、可憐にさえ見える沼野恭子さんがこう反論した。

「ロシアの文学者たちは、ずっと権力と闘ってきた。ロシア人の反骨精神、反権力、そしてロシアの中の良いものや文化を守っていこうとす気持ちを、万里さんも認めていた。

アンナ・ポリトフスカヤさんのような優れたジャーンリストが頑張ってきたのに、わたしにはプーチンがどうしてロシア人に圧倒的に支持されているのか、知りたい。

こんな大変な歴史をもっていて、こんなに悲惨な思いをしてきたのに、また同じ道を歩むのかと、悔しい気持がします」

 シンポジウムをただ黙って聞いていた会場の人たちの中から、大きな拍手がわいた。

それは明らかに、プーチンに手もなくあしらわれて趣旨替えをして権
力におもねる元ジャーナリストへの強い非難を含んだものだった。

 シンポから2ヶ月後、かつてアンナ・ポリトフスカヤさんの仕事を手伝っていたジャーナリストのナターリア・エステミローワさんが、チェチェンの自宅前で誘拐され銃殺死体となって発見された。

ロシアと同じく、プーチンの傀儡カディロフ政権の下では、反体制ジャーナリストを殺した犯人は発見されないし、罰せられもしない。

そのことを、メディアは大きくは伝えない。継続的なニュースすらない。体制側に乗っ取られたロシアの「国営」テレビはもちろん冷淡な扱いだ。そして日本のジャーナリストはこのざまだ。

 米原万里逝って3年、?かくも長き不在?を感じさせるシンポジウムだったが、しかし、あの600人の拍手の意味を考えるとき、希望がないわけではない。

ロシアの文学者・ジャーナリストにもそうであってほしい。
                    
『nudei』(ヌーディー)第2号より

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※ブログ編集担当・注
下記のものはチェチェンニュースのメルマガで紹介された時の文章です。

(前略)
 安東つとむさんという人が季刊で発行している、『nudei』(ヌーディー)というヘア業界の業界誌に、米原万里さんの3周忌と、プーチン政権についての記事が載った。

 業界誌・・・という括りは無理かもしれない。ウイグル、チベットなどの、マスメディアがあまり報道しない問題も、積極的に掲載しているくらいだから。

ミニコミがインターネット上のものになり、マスメディアが衰退していく中、こういう形で船出する人がいるのだ。

 半分くらいの記事が、社会問題に割かれている。とくに、「チェンジアップは投げられない」という連載記事は出色の出来。野球ストから郵政払い下げ、規制緩和、格差の問題までを無理なく縦横に語っているのがすごい。

 メディアの転換に果敢に取り組む人にしか書けない、触れば切れるような鋭い一文を紹介したい。(大富亮)



ラベル:国際 文学
posted by フォーラム色川 at 18:02| 東京 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム 安東つとむのWEB街風通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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